アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

 今が寒さのピークだと言われている。立春を過ぎるころからゆっくりと春に向かっていくのだと言われている。日差しの中にも確かさが戻ってきた。そのことをうれしく思う。

 今年の冬はとても寒くて長いからおばあさんが編んでくれたセーターを着なくちゃ、とブランキージェットシティが歌っていて、僕は寒くて長い冬のたびにそれを聴いていた。クリスマスの四日ぐらい前にはライラックを欠かさず聴く。今年の冬は例年よりも暖かいし短かった気がする。暖冬傾向にあることは間違いないけど短いというのは気のせいかもしれない。秋の終わりを山形で過ごして、一足先に冬の寒さを体感したこと、それによって冬を迎える体勢をいち早く整えることができたことが良かったのかもしれないし、僕は四年間をエアコンのない部屋で過ごしたから、それに比べて暖房の使える部屋が快適だったから、今年の冬を難なく過ごせたのかもしれない。

 冬になるとブランキーをよく聴く。夏には聴かないというわけではないけど冬になると聴きたくなる。僕の季節感の一つに音楽がある。ところで僕は冬でもかまわずレゲエを聴く。僕は本も読むけど本よりも音楽の方がより直接的に感受性を作ったと思う。音楽、僕が聴くような比較的単純な音楽の肝は繰り返し、リフレインということにある。繰り返すたびにかすかにずれた位相が重なっていく、意味が黴のように生えてくる。色々なものを揺らす。見たことのない景色や抱いたことのない筈の感情を思い出すこともある。ポップミュージックは繰り返すからポップなのであって、メロディーを繰り返さない音楽はポップではない。しかし繰り返してはいる、というよりも原理主義的に繰り返しているスティーブ・ライヒの音楽はポップではない。だから繰り返すことがポップとは限らないかもしれないけどポップミュージックは繰り返す。

 繰り返される諸行無常向井秀徳は繰り返し歌う。諸行はずっと無常なのだから繰り返すようなものではないと思いながらもそれを繰り返し言われると諸行無常は繰り返すということもわかる気がしてくる。向井秀徳は同じフレーズを色んな曲で使い回すけれどどれも同じというわけではない。フレーズは同じでも曲は違う。そこがすごく格好良いと思う。同じようなことを言っているようで少しずつ変わっている。十年前と今では全然違う曲をやっている。

 

 詩集でもなんでも繰り返すものが好きだということに最近気がついた。リフレインの持つトランス感というのかそういうものが好きなのかもしれないし、そういうふうにしか生きられないと思っているのかもしれない。とにかくリフレインが好きで伊藤比呂美が好きだし小笠原鳥類が好きだ。去年読んだ本の中で伊藤比呂美と小笠原鳥類に出会えたことは歓びだった。カニエ・ナハの新しい詩集の『なりたての寡婦』もとても良い。同じ地点から始まる詩、あるいは同じモチーフの変奏。同じことを言っているようで違う地点に立っている。差異と反復という言葉が思い浮かぶがちゃんと読んだことがない。読んでみたら面白いのかもしれない。