アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

わが草木とならん日に
たれかは知らむ敗亡の
歴史を墓に刻むべき。
われは飢ゑたりとこしへに
過失を人も許せかし。
過失を父も許せかし。

萩原朔太郎「父の墓に詣でて」

 私の生涯は過失であつた、と晩年の萩原朔太郎は書いている。また別の散文詩で「父と子共」の中で、次のようなくだりがある。

「不幸つて何? お父さん。」
「過失のことを言ふのだ。」
「過失つて何?」
「人間が、考へなしにしたすべてのこと。例へばそら、生れたこと、生きてること、食つてること、結婚したこと、生殖したこと。何もかも、皆過失なのだ。」
「考へてしたら好かつたの?」
「考へてしたつて、やつぱり同じ過失なのさ。」

萩原朔太郎「父と子供」(一部分) 

  晩年の朔太郎はこの過失ということや宿命という言葉を頻繁に使っている。彼の最後の散文詩集のタイトルは『宿命』であり、その中に過失というテーマが多く出てくる。捉えようによっては生涯は過失とその埋め合わせであるのかもしれず、しかしそう思えるのは俯瞰した場合、いわば簡単に考えた場合のような気もする。そのような大づかみの考え方というのは一見理知的でありながら多くのものを取りこぼしているものであって、そのこぼれていくものを丹念に拾い上げているのが僕の印象では滝口悠生だった。とはいえ滝口悠生の小説は地味というわけではなくそれどころかダイナミックなところも多分にある。まだあまり数を読んでいないので大したことは言えないが滝口悠生の嫌味のないしつこさ、本人の性向からくるというよりもしつこくしたくてしつこくしているような文章は面白い。逆に天性のしつこい文章を書く人ということで思い浮かぶのは室生犀星だ。室生はなんだか目の付け所がいやらしいというか僻みっぽいところがあってそれを包み隠さず執拗に書いていくところがあって、『我が愛する詩人の伝記』の釈迢空の章では彼の額にある痣のことに関して結構な長文を書いている。お洒落な彼が毎朝鏡を見るたびに痣をみとめてどんな気持ちになったことだろう、とか私に彼のような痣があったら痣に関する詩を書いて読者にいたたまれない気持ちを味あわせてみたかったとか、若い頃は周りがインクのようだと揶揄ったが彼が偉くなってからはそれが止んで却ってその深刻さが増したのではないか、とか、そういったことをくどくど書いている。その拘りようは尋常ではない。しかしそのこだわりということにこそ文章の面白さは出るのではないかと思う。こだわりのない文章はつまらない。どうしてこの人はそんなことにこんなにこだわっているのだろうと思わせるようなものは面白い。一概には言えないが傾向としてそう言えると思う。ここ1ヶ月くらいはずっと小島信夫の『私の作家遍歴』を読んでいて、小島信夫の引っ掛かり方、面白がり方がおもしろくて夢中で読んでいる。小島信夫がこれはこれと似ている、というとき両者がどう似ているのかよくわからないときが少なくない。よくわからないがそういわれると確かに何か通じる部分があるのかもしれないと思うがよくわからない。そういった微妙な響きを生み出すことにかけては小島信夫は天才で、その微妙な引っ掛かり、持続するかすかな響きがあるからこそ後のなんでもない描写が妙に感動的になったりもする。時にその興奮はずっと後の作品に持ち越されたりもする。小島信夫の晩年の作品は自身の過去の作品とかなり響きあうところがあるということになっているが、80年代以降の彼の作品のほとんどはそれが書かれた時点ですでに晩年の作品へ移るための何かしらが潜んでいる。