アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

味覚の積み重ね

 この前初めてイチジクを食べた。僕は小さい頃からフルーツが嫌いで、バナナ以外は食べられなかった。今でも好んで食べるのはバナナとみかんくらいで、ほかのものはほとんど食べたことがないから好きか嫌いかもよくわからない。食わず嫌いをしている。正確に言うと過去形で、食わず嫌いをしていた。今では食べる機会があれば食べてみようという気になっているけれど、知らない味、食べられるかどうかわからない味のものを自分から積極的に買ったりはしないので結局のところあまり果物は食べない。だけど最近は実家暮らしで両親がたまに果物を買ってきてくれるのでそれを食べてみたりする。この前イチジクをちょっと食べて、その前はスイカをちょっと食べた。ブドウも買ってきてくれていたがなんとなく気乗りしなかったので見送った。

 食べ物の好き嫌いがあるのは良くない。特にフルーツ全般がダメだというと、栄養が偏っていきそうな気がする。それに何かのめでたい機会にケーキ屋さんに行っても、ケースいっぱいに色とりどりのケーキがあるのにフルーツが食べられないとガトーショコラかチーズケーキの二択になってしまう。それには前々から寂しさというか味気なさを感じていた。

 僕は味覚というのは積み重ねだと思っていて、一概には言えないけれど、食べなれてる味はおいしくて、食べたことのない味、知らない味を初めて食べた時においしいと感じることはありえないんじゃないかと思う。もし初めて食べたものがおいしいと感じたとしたら、それはこれまでに食べたことのある好きなものに味が似ているだけなのではないかと思う。本当に初めて食べる味を、その場ですぐに食べ物だと認識できるものなんだろうか。例えばコーヒーにしても、初めからおいしいと思う人はいるのか怪しい。僕の場合は、中学生ぐらいの頃に、ブラックコーヒーが飲めたら格好良いと思って意識的に特訓したから飲めるようになったし、周りに聞いてもそういう人が多い。飲んでるうちにおいしいような気がしてくるのだ。

 大人になってから美味しさがわかるようになった野菜というのもあって、例えばナスとかピーマンとかニラとかミョウガとか、子供の頃は嫌いだった。だけど大人になって、一人暮らしをして自分で料理をしているうちに、野菜の方が安いから野菜をたくさん買って食べるようになって、そうしているうちに好きになった。

 味覚の好き嫌いのメカニズムというか、どうして好き嫌いができるのか、ということはまだあんまり解明されてないらしいけれど、ある程度は慣れなんじゃないかと思う。僕がどうしても食べられないというか食べたくないものはネギと生の玉ねぎなんだけど、ネギに関しては初めてそれと知らずに食べた時にマーライオンに取り憑かれたので、それが身体に染み付いてるんじゃないかと思う。トラウマになってしまった食べ物を好きになることは難しいかもしれないけど、好きでも嫌いでもない、食わず嫌いのものは、食べているうちに好きになるんじゃないかと思う。何が言いたいかというとフルーツを食べられるようになりたくて、フルーツを食べる特訓をたまにしている。

 初めての味や食感に戸惑うし、知らないことにチャレンジするのは体力や気力を使うので、毎日食べたことのないフルーツに挑戦したいと思っているわけではないけど少しずつ克服していきたい。イチジクに関しては、見た目も食感も奇抜で、覚悟が必要だったけど、味自体は馴染みがないこともない味で、おいしかった。本当においしいと感じたのかどうか自信が持てないけどそういう時はおいしかったと思い込んだ方がきっといい。

 モモに似た味がしたような気がする。あるいはいつかカレー屋さんで飲んだグァバジュースみたいな味がした。食感は結構グズグズで、細かい種のようなものがグラニュー糖のような歯触りだった。水分もあって、甘いんだけどどこか苦いような酸っぱいような味も混ざっていて、初めての味と言えばそうだったけれど要素に分解すれば完全に初めて食べる味や食感というわけでもないような気がした。そのようなことを喋りながらイチジクを食べていたので両親からそんなにイチジクに一喜一憂する人は初めて見たと言われた。

 それで思ったんだけど、23歳にもなって、知らない味、食べたことがないものがまだまだたくさん身近にあるということは幸せなことなんじゃないかと思う。よく優れたフィクションの作品についても、記憶をなくしてもう一度味わいたいとか、これから出会える人が羨ましいとかいうけれど、みんなが大好きな果物を、これから一から味わえるというのはひょっとしたら恵まれた体験になるかもしれない。

 果物を食べられるようになりたいということについてこんなにクドクドとクダを巻けることにちょっと驚いているけど、とにかく食べ続けていればそのうちおいしいと思えるようになる折り返し地点が来るはずだ。おいしいというのは食べなれている味だということだという信念を持って、これからもチャレンジし続けていきたい。いつかフルーツタルトで誕生日を祝うのだ。