アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

一日中ひまだった

 自分が今まで書いてきたものを読み返すまでもなく、僕はいつも同じようなことを書いていると思う。その理由は簡単に、僕がこのブログに何かを書くときの状況がワンパターンだからだ。一言で言えば、お金がなくて時間があるとき、つまりめちゃくちゃ暇なときだ。そしてたいていはへとへとに疲れている。何かに没頭するための体力や気力もなく、しょうがないからここらで一発何か書いていろいろ振り返ってみるか、というときだ。そういうときに自分のことについて時間をかけて考えようとすると、自然とロクでもない方向へと転がっていく。ロクでもないことがダラダラと書いてある文章を読むとロクでもない気分になると思うけど、書き散らかした本人は割合ケロッとしている。少し気分がすっきりするからだ。

 楽しかったことがあったとき、何かに熱中していてエキサイトしているとき、幸せな気分のとき、そういうときに文章を書いたら明るい文章になるとは思うけど、僕はそういうときに文章を書こうという気分にならない。というか書こうとしてもあんまり言葉にならない。言葉はいつでも遅れてやってくる。よかったことを書くには想像しているよりも長い時間が必要だ。文章を書きたいと思うときは大抵途方に暮れているときか、何もやる気がないとき、外に出たり動いたりしたくなくてひたすら頭をぐずぐずさせているときだから、無力感マシマシでくすぶった感じの文章だけがひたすら量産される。

 もちろん、ご察しの通り、今日も仕事がなくてお金もなく、今本を読むのにも音楽を聴くのにも飽きたところなので、こうして文章を書いている。

 

 あなたの「これなら誰にも負けない」と思うものは何ですか?という馬鹿げた質問が面接とかであるけれど、質問の意図とか相手への印象とかをまるっきり無視して答えるなら、「無力感」だと思う。けどこれじゃギャグになっちゃうな。

 前向きにでもなっていないとすぐに潰れてしまいそうな日々が続くと、後ろ向きでいられることの幸福とでもいうようなものを感じる。つまり今日のように、何もすることがなくて、実際に何もしないでプスプス煙を立てるだけの1日が送れることそれ自体がたまらなく幸せなことのように思える。前向きに頑張ることを常に要請される、というかそのような精神状態に自分を持っていかないと乗り切れない日々に疲れた時、今日も頑張ろうとかやっていきましょうとか全く言わなくても思わなくてもいい時間が飽き飽きするほど手に入るととてもうれしい。好きなだけ暗い音楽を聴いたりあんまり人に言えないような映画を観たり、ゴシックとか世紀末ウィーンの美術について調べたりしてると、そういうものにうんざりしてくる。前向きでいなければいけないのはとても疲れるしムカつくけど、後ろ向きでいるのもしんどいし飽きてくるものなのだ。だけどすっかり飽きてしまうまで思いっきり後ろ向きなものにどっぷり浸ることができる時間が僕はとても好きだ。バカみたいな話だけど丸一日かけてそういう泥沼をくぐり抜けると、自然とこういうの飽きたしもう一回くらい頑張るか、という気持ちになってくる。その繰り返しそれ自体が徒労に思えてたまらなく嫌になることもあるけど、そういうときでも落ちるところまで思い切り落ちてみると長くても二日で飽きる。ある意味ものすごくタフだと思う。いろいろなものに次々と飽きながら生きている。

 

 谷川俊太郎の考えた33の質問の中に、「あなたにとって理想的な朝の様子を描写してみて下さい。」というのがあって、なんていうかそういう問いってとても大切な気がした。どんなにささやかなことだろうと馬鹿げたことであろうと、理想について思いを巡らすことができなくなったら何かがだめなんじゃないかと思う。現実的かどうか、とかそういうことを検討するのとは別の次元で、もちろんそれも欠かせないけど、単純に理想について考える、理想について話す、語り合うということが許されるというかできるような環境であって欲しいと思う。去年は大雑把に言うと目の前にある現実に自分のサイズを合わせることにこだわってきたわけだけど、現実からの要請・制限を度外視して何かを見る・考えるということはとても大切なことで、そしてそれは一度欠けてしまうと埋め合わせることはとても難しいものなのだと今では思う。理想について好き勝手に考えるということは、一番身近で、手っ取り早い、持続可能性のある明日へのエネルギーの一つだと思う。僕は「明日へのエネルギー」という言い回しがとても好きでいつも頭の片隅に置いてるんだけど、これはandymoriの”CITY LIGHTS”からのアレです。

 WHO憲章の中の健康の定義に関する部分が、1998年に変更されたという話は有名だけれど、肉体的・精神的・社会的という側面だけでなく、霊的という観点が加わったことが主な変更点で、霊的な部分の充足ということを僕はしばしば忘れてしまう。だけど健康って結構複雑なのだ。あっちを立てればこっちが立たず、ということがしばしば起こるけれど、少しずつ、後戻りや寄り道もしながら、近づいていけたらいい。