長嶋有とチャンドラーとジャームッシュへのラブコール
『泣かない女はいない』を読んだ。長嶋有の小説を読むのはこれで三冊目で、今までに読んだ二冊は『ジャージの二人』と『猛スピードで母は』なんだけど、長嶋有の魅力の一つには、解釈を寄せ付けないほどの視点のフラットさがあると思う。つつがない毎日の中で、キラリと光る違和感を捉えるのがすごく上手い。『ジャージの二人』は映画化もされてて、主演が堺雅人で、彼もフラットな人だから、すごくよく似合ってるんじゃないかと思う。夏になったら観たいと思ってる。その『ジャージの二人』は、夏の間は山の中の小屋に行って暮らす家族の話で、その中に出てくる離婚して再婚した父親の娘のセリフがすごく良い。
「『でも、夜がこんなに暗いってことを東京の人にどんなに説明しても、うまく説明できないの。いいなあとか、星が綺麗なんでしょうとか、そんなふうにいわれちゃうの』いいなあとか、そういうんじゃなくて、暗いってことだけ伝えたいのにな。」
この暗いってことだけ伝えたい気持ち、それだけ伝えられず、過剰な意味づけがなされることのもどかしさは、作品全体を通じて伝わってくる。意味なんてない、だけどくすっときたりグッとくるような細部が長嶋有の小説にはそこかしこに散りばめられてて、僕はそういうグッとくる細部に触れた時が一番、ああ、小説を読んでるなあと思うし、なんとなくリアルだと思う。毎日遊んだり暮らしたりしている中で、特定の誰か宛てではないけどなんとなく誰かに言いたいことってたくさんあると思うんだけど、長嶋有の小説はその積み重ねでできてる。だから打ち解けた友達とダラダラと喋っている時のような気楽さを持ってスラスラ読めるし、読み終わった時はあー面白かったと思うし、一部は心のどこかにずっと引っかかったりもするのだ。あとこれは余談なんだけど僕はクロックタワーのBGMが絶対ジョン・カーペンターを意識してるよなってことを誰かに伝えたくて伝えたくてしょうがない。
それは置いといて、同じような理由で、最近ハードボイルド小説にもはまっている。ハマりたてだから、まだチャンドラーしか読んでないけど、すごく良い。ハードボイルドの定義は諸説あるけど、一説にはハードボイルドとは簡潔で客観的な文体のことで、そうするとヘミングウェイなんかも含まれるらしい。チャンドラーは移動の描写がすごく良い。特に車での移動。するすると風景が流れていく。目的地に着く。物語が進む。主人公のフィリップ・マーロウという男は、決して立ち止まることがない。いつも歩いている、車に乗っている、誰かに会いに行っている。くよくよしたり、立ち止まったりすることは決してない。すごく格好良い。マーロウが歩く、話す、走る。そうすることで初めて物語が進んでいく。マーロウが動くことをやめてしまったら、物語も動かなくなってしまうから。その美学のシンプルさが読んでいて落ち着くし、しびれる。今までは色々と突き詰めて難しく考えるのが何か高尚なことのように思っていたけれど、なるべくなら単純な方が良いって、最近何かにつけて思う。そんな気分を、ハードボイルド小説は後押ししてくれるから、最近好きなんだ。
あと、視点のフラットさで言ったらカメラ・アイだなんてたまに言われてる柴崎友香の小説もすごく良い。それと、その柴崎友香の『今日のできごと』を、映画監督のジム・ジャームッシュのデビュー作『ストレンジャー・ザン・パラダイス』と結びつけて論じた保坂和志のあとがきがすごく面白いから、ぜひ文庫で買って読んでみてほしい。ジャームッシュのこの映画は、シーンとシーンの間に数秒間の空白(真っ黒の画面)を大胆に入れる演出によって、映画を能動的に観ること、ワンシーンワンシーンをしっかりと目に焼き付けること、を思い出させてくれるところがすごくイカしてるし、登場人物たちの退屈を、退屈のまま堂々とスクリーンに映してみせたところがすごい。さっき言った『ジャージの二人』の話にも通じるところがあると思う。小説はただただ読むことが何よりも大事だし、映画もただただしっかり見ることが大事だってことを、長嶋有やチャンドラーや柴崎友香やジム・ジャームッシュは教えてくれる。