今ここから読む石川啄木
石川啄木は、1886年に生まれて岩手県で生まれて、17歳の時に文学を志し上京し、あれこれ生活に苦心をしながら、1912年に結核で死ぬまで、詩を作ったり、歌を詠んだり、小説を書いたりしていた。
彼自身は小説家を目指していたようだが小説はあまりおもしろくなくて、後世の評価としては歌にすぐれていた人である。その歌を読んでいると、彼の人となりというか、だめだめっぷりがひしひしと感じられる。ロマンチストで、甘ったれで、プライドは高いが傷つきやすい。ものぐさで、嘘ばかりついて、夢を見つつも幾度となく生活にぶちのめされる。なんというか、永遠の十七歳といった風情がある。彼の作る歌はいつでも感傷的で、くたびれていて、夢見心地で、おかしみがあって物悲しさがある。今で言うと『シティライツ』などで有名な大橋裕之の漫画を読んだ時と同じような気分にさせられる。
とにかく、石川啄木という人は純粋なのである。太宰治は『みみずく通信』という短編の中で、「青春とは半狂乱の純粋ごっこ」であると言っているが、石川啄木の短歌は、「夢に夢見るくたびれた田舎者の半狂乱の純粋ごっこ」といったような趣があって、青春のイメージと切り離すことができないように思われる。
石川啄木の短歌は、難しい言葉や古めかしい言葉が使われているわけでもないので、今読んでも読みやすい。「キス」だとか「死ね」などの言葉が、ごく自然に使われていて、この言語感覚には、当時の人は驚いたんじゃないかなと思う。なんとなく神聖かまってちゃんというバンドの『夕方のピアノ』という曲を思い出す。このバンドはサブカルチャーに頭からどっぷり浸かった新しい言語感覚を持っていて、おもしろいと思う。
このように、石川啄木の感覚というのは、今を生きるいたいけな若者(僕も含め)にも、そのまま通用するものであると思う。ためしに、石川啄木の短歌と、それに通じる物がある気がする作品とをつらつら並べ立ててみようと思う。
大いなる水晶の玉をひとつ欲しそれにむかひて物を思はむ水晶の玉をよろこびもてあそぶわがこの心何の心ぞ石川啄木『一握の砂』より転校生となりの席の美少女は水晶玉を見つめてばかり笹公人『念力家族』より
「水晶」というモチーフが共通している。それに、切り口というか、つぶやきに似た素朴な作風がなんとなく似ている気がする。ちなみに後に挙げた笹公人の『念力家族』は、念力が当たり前に存在する世界の日常を切り取ったイラスト付き歌集というなんとも変な本である。
けものめく顔あり口をあけたてすとのみ見ていぬ人の語るを石川啄木『一握の砂』よりこいびとの顔を見たひふがあって裂けたりでっぱったりでにんげんとしては美しいがいきものとしてはきもちわるいこいびとの顔を見たこれと結婚する帰りすれ違う人たちの顔をつぎつぎ見たどれもひふがあってみんなきちんと裂けたりでっぱったりでこれらと世の中 やっていく帰って泣いた松下育男『顔』
人の顔に対する違和感が共通している。ほとんどの人は、人の顔について疑問を抱いたことがない、というか、引っかかりを感じたことはないと思うが、啄木と、松下育男はそこで立ち止まって驚いている。いや、啄木に至っては驚いてすらいない。たしかに言われてみれば、人の顔が「けものめいて」見えるときはあるし、「裂けたりでっぱったりで」、「いきものとしてはきもちわるい」かもしれない。
さりげなく言ひし言葉は
さりげなく君も聴きつらむそれだけのこと石川啄木『一握の砂』より元気でねと本気で言ったらその言葉が届いた感じに笑ってくれた永井祐『日本の中でたのしく暮らす』より
コミュニケーションに関する歌であるが、両者のベクトルは食い違っている。ように見えるが、同じようなことを言っているような気がしないでもない。さりげなく言った言葉は、さりげなく聴かれる。本気で言った言葉は、本気で受け止められる。この二つのありふれた情景からは、つながりというものへのあこがれが強く感じられるように思う。
物悲しくて、おかしくて、飄々としているようで、焦っていて、すべてをあきらめたかのような、あきらめきれていないような、センチメンタル自意識過剰な石川啄木の微妙な作風は、大橋裕之や、永井祐が好きな人にはハマるのではないだろうか。