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アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

「意味がない」ということについて

なにかの意味を実感するためには、信じることがその前提にある。

意味の背後の価値、及びそれを形作るところの価値観を、全面的に受け入れて肯定し信じることができなければ、何事も意味を為さない。
神様を信じない人にとっては、祈りなんて無意味だし、ロックンロールを信じない人には、夢を追いかけフリーターを続けてときどきライブをするような人生は、滑稽に映るかもしれない。愛を信じない人に幸福な結婚はできないだろう。
 
私たちはしばしば、なにかにつけて”意味”を求めようとする。”生産性”に固執する。しかしそれがなんだというのだろう。そのような考えを突き詰めていくと、人の一生はただ生まれて死ぬだけで、なんの意味もないというところに行き着くのではないだろうか。
ぼくたちが意味を感じるのはふつう、僕らが子どもから大人になるまでに、無意識のうちに植え付けられてきた常識や偏屈、先入観に沿ったものだけだ。だからぼくたちが持っている感受性というやつは、国や、学校や、親や、その他大勢の周りの大人たちが、時代の波に揉まれながら、よかれと思って押し付けてきた価値観の集積だ。それだけの話なのだ。
その枠の中でのほほんとして、これが自分だなんて言って、そぐわない考え方や価値観、芸術作品、人間に出会えば、否定をしにかかる。そういう現場を見ると僕はとても悲しくなる。学校で教えられたような、学校の勉強をちゃんとして、いい学校を出て、いい会社に就職をして、よく働いてたくさんお金を貰う、それだけが人間の幸福だ、と信じきっているならばそれでいいと思う。だけど、人の数だけ幸せってものはちがうのだ。みんなが同じことをして、みんなが同じだけ幸せになれるわけではない。欲張りたい人もいれば、休みたい人だっている。欲張りたい人は大いに欲張って、休みたい人は適度に休みながら頑張ればいいのではないだろうか。どうしてそれじゃいけないのか。僕にはまだよくわからない。人の数だけ、しあわせの形も違うのだ。
 
少し話が逸れすぎたが、僕がここで言いたいのは、「意味がない」と思ったら、それを切り捨てるのではなく、それに意味を与える価値を、肯定する価値観を探してみるべきなのではないかということだ。哲学は昔からずっと、一口に言えば人間が生きる”意味”について考えてきた。そうして”私”という概念を発明したり、神は死んだと叫んでみたり、実存主義がどーたらとか言って、常に新たな意味、価値、価値観(世界観と言ってもいいかもしれない)を生み出してきた。新しい哲学が浸透すれば、すべてもまた新しくなるのだ。こんなにダイナミックな学問はほかにないと思う。すごく素敵だ。
ゴッホは生前まったく評価されなかった。今では世界中のみんながその名前を知っている。知っている画家の名前を挙げてみてください、と言ったら、二三番目に口に出るんじゃないかと思う。なんでそんなことが起こっているのか。時代が追いついた、という言い方がよくされる。これは、ゴッホが死んで何年も経ってから、ようやく彼の絵の美しさを発見できる人が現れて、そしてその人の考え方が広く知られるようになり、いろんな人がそれにせっせと肉付けをして、やっと世の中にゴッホの絵を美しいとするに足る価値観が形成された、ということだ。
 
だから、”意味がない”ということは素敵なことだ。まだ誰もその美しさに気づいていない、意味を与えるための価値観を自分が作り出すチャンスがある、ということだ。
既存の価値観、道徳、倫理にそぐわないからと、落ち込んでしまうよりは、そんなもの作ってしまえばいいのだ。
 
僕は何も無駄にしたくない。無意味だなどと切り捨てたくはない。
この世のすべてを、日に三度の食事も、90分の教授の長話も、鉄のように鋭い冬の風の感触も、なにもかも歓んでいたい。
生まれてきたからには、幸せにならなければもったいない。楽しくないのならやめちまえ。人生は短い。
 
いつも以上に未熟で青臭くてくだらない文章を長々と書いてしまったけれど、きっとこの曲の熱に浮かされて、ロックンロールの魔法とやらに騙されてしまったんだろう。
 
この街で俺以外 君のかわいさを知らない
今のところ 俺以外 君のかわいさを知らないはず
大宮サンセット 君はなぜ悲しい目で微笑む
大宮サンセット 手を繋いで歩く土曜日