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受胎告知の名画・導入編

 西洋美術の歴史を紐解くと、その時代毎に人気のあった主題が見えてくる。受胎告知は、主にルネサンス期のイタリアを中心に広く流行した主題で、レオナルド・ダ・ヴィンチボッティチェリ、フラ・アンジェリコやフィリッポ・リッピなど、枚挙に暇がないほど多くの画家が輝かしい名作を残している。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ《受胎告知》



 今回は、受胎告知とはそもそも何なのか、画面に描かれたモチーフにはどんな象徴的な意味が託されているのか、また受胎告知の図像表現は時代や地域によってどのように変化したのか、受胎告知が起こった場所はどこで、時間帯はいつ頃なのか。受胎告知の概要や、様々な疑問点についてまとめてみた。ちなみにキリスト生誕の9ヶ月前、3月25日が受胎告知の祝日と定められており、ルネサンス期のフィレンツェではこの日が一年の始まりとされていた。今回は受胎告知の名画を楽しむための導入記事として、受胎告知の概要とその出典、受胎告知の場面に現れる象徴表現、図像の起源聖母マリアの身振り、に絞って解説する。

 

受胎告知の概要

 受胎告知とは何か。それは、一言で言えば大天使ガブリエルが聖母マリアのもとに舞い降りて、イエス・キリストの誕生を予告する場面である。この受胎告知の物語は、実は共観福音書中に具体的な記述は少ないが、ルカによる福音書1章26−38節が主な典拠となっている。

 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に上から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリザベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉通り、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

新共同訳『聖書』、日本聖書協会、2014年

 この短い記述から、画家たちは想像を膨らませ、当時流布していた外典や聖人伝説、説教をもとに具体的な肉付けをして、様々なバリエーションを生み出すに至った。受胎告知の物語には、天上の神秘と地上的な存在との出逢い、聖母マリアの驚きや畏れ、戸惑い、受容の繊細な心の動きがあり、ドラマがある。この静謐で情感に富んだ、神秘的な物語は、多くの人々の心を捉え、数多くの素晴らしい作品が描かれてきた。数ある外典の中で、とりわけ画家たちの想像力の源泉となったものに、二世紀の半ばに成立し、聖母マリアの生涯を描いた『ヤコブの原福音書』がある。ちなみにこの原福音書というのは、福音書の元になったという意味ではなく、福音書よりも時系列的に前の出来事を描いたという意味である。

 外典である『ヤコブの原福音書』では、共観福音書と比べて、マリアの生涯が詳細に語られている。それによると、マリアはダビデの部族の出で、主の神殿の垂幕を織る八人の乙女のうちの一人に選ばれ、くじによって真紫と真紅の布を織ることに決められる。そして11章1-3節において、マリアに対する天使の告知の様子が次のように描かれる。

  さて彼女は水がめを持って水汲みに出ました。するとどうでしょう、声があって言いました。「よろこべ、恵まれし女よ、主汝とともに在す。汝は女の中で祝福されしもの」。彼女はどこから声がするのかと右左を見まわしました。そして怖くなって家へ帰り、水がめを置き、紫布をとって自分の席につき、織りつづけました。

 するとほうら、主の御使いが彼女の前に立って言いました。「恐れるな、マリアよ。あなたは万物の主の前に恵みを得た。あなたは彼の言葉によってみごもる。」彼女はそれを聞いて疑い、心に思いました。「私は主なる生ける神のゆえにみごもり、しかもみんなと同じような子を産むのかしら」。

 すると主の御使いが言いました。「そうではない。マリアよ。なぜなら、主の大能があなたを覆う。だからあなたから生まれる聖なる子は至高者ととなえられる。だからその名をイエスと名づけなさい。彼のその民を罪から救う」。そこでマリアは言いました。「御覧下さい。主の端女が主の前におります。あなたのおっしゃる通りになりますように」。

荒井献他訳、『新約聖書外典』「ヤコブ福音書」、1997年、講談社

 ルカによる福音書になく、新たに付け加えられたエピソードとして独特な点は、マリアに糸紡ぎの仕事があてがわれているのと、井戸端での声による告知である。糸紡ぎと水汲みは、古代や中世を通じて一般的な女性の仕事とされており、この挿話は人々がマリアに対して親しみやすさを覚える効果を与えたと思われる。この糸紡ぎや水汲みをするマリアの図像は西欧ではあまり広まらず、東方のイコンや、ビザンティン美術にその例が見つけられる。また、ルカによる福音書では「主があなたを覆う」とのみ記されていた処女懐胎の方法について、ここでは主の御言葉によって身籠ると明記されている。受胎告知画において、聖霊を表す鳩が、マリアの耳に向かって飛んでいく表現が見られるが、『ヤコブの原福音書』の記述を受けたものだろうと思われる。また、上記の「いと高き方の力があなたを包む」、「主の大能があなたを覆う」という表現は、旧約聖書出エジプト記』のモーセが神のための幕屋を設えた際の、「雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた」という記述を踏まえたものであり、マリアの懐胎と幕屋を覆う主の栄光が予型論(タイポロジー)的解釈によって結び付けられていると言われている。このことから、受胎告知の絵画に於いて、マリアの影が彼女を覆うようにして描かれている例もある(1)。

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水汲みをするマリア、14世紀初頭、タペスリー、レックリングハウゼン、イコン美術館

 上記以外の、その他の典拠としては、中世に於いて最もよく読まれた書物のひとつであり、諸々の聖人画の図像的根拠を与えたことでも知られる、ヤコポ・ダ・ヴォラジーネによる『黄金伝説』や、フランチェスコ派の修道士ヨハンネス・デ・カウリプスによる『キリストの生涯についての省察録』が挙げられる。特に『省察録』において、二人の登場人物の動作や表情、マリアの心の動きなどについて詳細に説明されており、中世の後期以降、画家たちに具体的なイメージを与え、より人間的で感情的に活き活きとした表現にインスピレーションを与えたと言われている。14−16世紀のイタリアにおいては、上述した『ヤコブの原福音書』よりも、これらの著作が身近であり、よく参照されたと言われている。

 また、受胎告知の絵画の発展には、美術史的な様式の変化に加えて、神学上の教義に関する論争や、公会議での決定、民衆の間でのマリア信仰の高まりなど、様々な要因が大きく関わっている。

 

受胎告知画に見られる象徴表現

 受胎告知の登場人物は、当然ながら、大天使ガブリエルと聖母マリアの二人である。識字率が今よりもうんと低かった時代には、宗教的な主題を描いた絵画は、「目で見る聖書」として捉えられていた。ゆえに、描かれている人物が聖母マリアであり、大天使ガブリエルであることがひと目でわかるように、画面に象徴的なモチーフを描き込んだり、アトリビュートとなる持ち物を人物に持たせる手法が一般的であった。

 聖母マリアの服装は、通常青いマントに、赤い衣装で描かれる。「青は天の真実を、赤は天上の愛を表す色」であるとされている(2)。また聖母マリアの純潔の象徴として、しばしば白い百合が描かれる、他にも、赤い薔薇や青いおだまきが描かれることがあり、前者は愛情、後者は悲しみの象徴である。受胎告知の場面で、マリアが何をしていたのか、について、東方では『ヤコブの原福音書』の、神殿を飾る垂幕を織るために糸紡ぎをしていた、という記述から、糸巻きを持った姿で描かれることがあるが、西欧美術ではあまり広まっていない。代わりに、マリアは読書をしている姿で、開かれた本や書見台と共に描かれることが多い。読書するマリアの図像の作例はカロリンガ朝時代にまで遡ることが可能だが、一般的になるのは12,13世紀以降のことである(3)。

 また、聖母に捧げる連祷の中に、「精神の壺」「光輝ある壺」という言い回しがあるように、水差しや壺なども、聖母の象徴としてしばしば描かれる。また、マリアの処女性を強調するものとして、「閉ざされた庭」「閉ざされた扉」が描かれることもある。「閉ざされた庭」は旧約聖書の雅歌に由来し、「閉ざされた扉」は同じく旧約聖書エゼキエル書の預言が典拠となっている。

 受胎告知の際に、大天使ガブリエルが手に持つものとしては、杖、笏、オリーブの小枝、棕櫚の葉、白百合の花が挙げられる。杖の先には権威を示す金の球や、十字架をつける場合がある。

 また、よく似た主題として、聖母の死の告知があるが、大天使ガブリエルの持ち物が異なっている。マリアの死の告知の伝説の内容は、キリストの磔刑後、使徒ヨハネと共に暮らしているうちに、白い衣を着た天使が現れ、彼女の死を告げる、というものである。キリストの昇天後、マリアは尼になったという伝承が中世にあり、それを受けて尼僧の姿で聖母を描くこともある。

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ジャン・フーケ、《死の告知》

 また、天使の持ち物によっても、受胎告知と死の告知の場面を区別することができる。死の告知の天使は、棕櫚の枝を手にしており、これは「常に天国へ凱旋する死の勝利をあらわして、殉教者に持たせる習慣(4)」になっている。とはいえ、棕櫚の枝は古代ローマの時代から勝利者の象徴として用いられており、通常の受胎告知画においてもガブリエルが手にしている場合もある。しかし、死の告知の場面での棕櫚の枝は、『葉は暁の煌めきを持った』という言い伝えがあり、棕櫚の葉に金泥が用いられたり、星が飛び出ているような場合などは、ほとんど死の告知の場面であると見てよいとされる。また、天使が聖母に燃える蝋燭を手渡していることもあるが、これは「古来死人に蝋燭を握らせるイタリアの習慣に照らし合わせて、間違いなく死の告知と考えてよい」とされている(5)。

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フィリッポ・リッピ《聖母の死の告知と使徒の到着》



受胎告知の図像の起源と発展

 受胎告知の絵画は、ルネサンス期に最もよく描かれたが、その図像の起源はもっと古いものである。受胎告知を描いた最古の作例として、異論もあるが、紀元2世紀のものとされる、ローマの聖プリスチルラの墓所(Catacomb of Priscilla)の図像が挙げられる。翼のない人物が座った女性の前に立って、手をかざしている。左側の椅子に深く腰掛けた人物が聖母マリアで、右側に立って祝福を授けるような身振りを示しているのが大天使ガブリエルであるとされる。しかし、この図像が描かれたのが神の母としてのマリアの地位、及び聖母子像が教会に認可されるエフェソス公会議(431年)前であるため、この絵を巡る議論は紛糾している。(6)

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聖プリスチルラの墓所、2世紀


 こちらは四世紀にカッパドキアの教父によって書かれたとされる、ナジアンゾスのグレゴリウスの説教の写本の挿絵で、画面左上部分に受胎告知の場面が描かれているが、場面は屋外に設定されていて、ここでは告知を受けた聖母マリアは椅子から立ち上がり、大天使ガブリエルに応答している。このように、マリアの椅子の背後に、観念的な建物が描かれる背景描写は、のちの時代にもしばしば見られる表現である。

 

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Homilies of Gregory the Theologian gr. 510, f 19、4世紀頃

 

 エフェソス公会議の直後に聖母マリアを記念して建設された、 サンタ・マリア・マジョーレ聖堂の内陣アーチにモザイクで描かれた受胎告知。432-40年 。舞台は屋外に設定されている。画面中央で荘厳な様子で玉座に腰掛けていて、聖母の神聖さが強調されており、頭には神の子の母であることを示す頭髪飾りをつけている。また、糸を紡ぐマリアの図像を継承しており、緋色の毛糸を入れた籠が傍らにある。天から聖霊の鳩の背景に朱く染まる空が神秘的。

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サンタ・マリア・マジョーレ聖堂のモザイク、432−40年

 同じく5世紀頃の作例で、現在ミラノの大聖堂付属美術館にある象牙浮彫では、湧き水から水を汲み取ろうとしているマリアのもとに、大天使ガブリエルが舞い降りてきた場面が描かれている。初期の受胎告知の図像においては、マリアは椅子に腰掛けているか、あるいは立って告知を受けているかのどちらかである場合が多いが、この作例のように、水汲みの仕事の真っ最中で、立膝をつき、身を捻って驚きを顕にするマリアの姿勢は珍しく、印象的である。

 

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水汲みをするマリア、5世紀頃、ミラノ大聖堂付属美術館

 

 こちらは6世紀のビザンティン美術の作例である、マクシミアヌス司教座の象牙浮彫。現在はラヴェンナのエピスコパーレ美術館に所蔵されている。聖母は糸巻きを、天使は杖を手にしている。また、簡潔にではあるがマリアを囲むようにして建物が描きこまれており、マリアが室内で糸紡ぎをしていたことが示されている。ルネサンス期の受胎告知の作例では、通常聖母マリアが画面右に、大天使ガブリエルが画面左に配置されているが、ここでは逆になっている。聖プリスチルラの墓所も同様であった。いつ頃から、なぜ、それぞれの位置関係が逆になったのか。右がおめでたい位置とされているから、鑑賞者の視線は左から右に流れるため、左に告知をする天使を、右にそれを受ける聖母を置いたほうが視線の流れに適う自然な構図であるから、など、様々な説があるが、いずれも定説とはなっていない。

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マクシミアヌス司教座の象牙浮彫、6世紀、エピスコパーレ美術館



 8世紀頃に、シリアで製作されたと言われる、絹布に描かれた受胎告知。ここでも聖母が左に、天使が右に配置されている。聖母は装飾された椅子に腰掛け、落ち着いた様子で天使の告知に応答している。赤い絹地の背景からは、具体的な舞台設定は読み取れないが、この受胎告知の場面を囲む円形の花模様は、春の到来の爽やかさにも似た、救世主の到来を告げる新しい知らせを祝いでいるようである。

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絹布に描かれた受胎告知、8世紀、シリア?

 また、ビザンティン様式を受け継いだカロリング朝・オットー朝時代の美術における受胎告知の作例として、1015年頃に制作された、ドイツのヒルデスハイム聖堂の扉部分のブロンズ彫刻が挙げられる。アダムの創造からキリストの昇天まで、聖書からの様々なエピソードが描かれているが、左の8つのパネルが旧約聖書を、右の8つのパネルが新約聖書を題材としている。受胎告知の場面が描かれているのは、右側の8つのパネル、右側の一番下の区画である。また左右のパネルは、旧約聖書の出来事は新約聖書の出来事と対応するものであるとするタイポロジーの考えに従ってそれぞれ対応している。受胎告知の隣りにあるのは、カインがアベルを殺害する場面であるが、正しい者アベルの死は、後のキリストの十字架の上での死を予見していると考えられていた(7)。

 互いに頭を垂れるマリアとガブリエルの動きはややぎこちないが、カインとアベルのパネルに顕著なように、力強く荒々しい造形表現には眼を見張るものがある。

 

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ヒルデスハイム聖堂のブロンズ扉、1015年

 また、同時期の作例として、1065年頃に製作されたとされている、ケルンのSt. Maria im Kapitolの木製扉がある。左上の受胎告知に始まり、エジプトへの逃避やキリストの洗礼など、キリストの生涯における主要な事件が描かれている。描かれた人物のくちばしのように尖った鼻は、同時代のドイツ美術に典型的な表現であるとされている(8)。

 この受胎告知の場面においては、大天使もマリアも立った姿勢で描かれている。隣に描かれているのはおそらくエリザベツ訪問の場面であろう。頭身の低い木彫りの人物像からは、質朴な温かみが感じられる。

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ケルンの聖堂St. Maria im Kapitolの木製扉、1065年頃

 

12世紀中頃のシャルトル大聖堂の彫像が、ロマネスク期からゴシック期への過渡期にあたる作例として挙げられる。下方から見上げることを考慮してか、顔が大きく造形されており、デフォルメされているみたいで可愛い。ちなみに同聖堂のステンドグラスにも受胎告知の場面が描かれている。私的な印象では、この頃から大天使ガブリエルが左に、聖母マリアが右に配置される例が多くなってくる。

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シャルトル大聖堂

 アルルにあるサン・トロフィーム教会の東側にある、1190年頃の作とされる彫像では、マリアはどっしりと腰掛けてながら、右手をかざして天使の告知に応答している。
ここでも少年のように描かれた大天使ガブリエルが左に、マリアは右に位置している。ロマネスク期の写本や彫刻において、受胎告知のマリアは立った姿勢でも座った姿勢でも描かれることがあるが、両者の違いに重要な意味はないと言われている(9)。

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サン・トロフィーム聖堂、アルル、1190年頃

12世紀末、シナイのイコン。ねじれた身体や、うねるような衣服の襞の表現が特徴的。ここでも抽象的で神秘的な背景と、聖母が座る豪華な玉座の後ろに観念的に描かれた建物が見られる。

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シナイのイコン

 13世紀にフランスで描かれた写本の挿絵においても、井戸で水汲みをしている最中に最初の告知の声を聞くマリア、家で糸紡ぎをしている際に告知を受けるマリアの姿が描かれている。マリアの家がテントのように描かれたいたり、大天使ガブリエルが今まさにマリアの方へ飛来している動的な姿で描かれている点が興味深い(10)。

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Fol. 117v. Vatican La Rochelle Bible、1215

 

 

1230−55年頃の作で、ゴシック期の受胎告知の作例を代表するランス大聖堂のもの。ゴシック期に特徴的な垂直方向に引き伸ばされたようなすらりとした人体表現が見られる。にこやかに微笑みかける大天使ガブリエルと、平静な心でそれを受け入れる聖母の穏やかな表情が良い。

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ランス大聖堂

 同じくゴシック期の作例である、アミアン大聖堂入り口の受胎告知。聖母マリアが本を抱えている点が注目される。大天使ガブリエルの明るく晴れ晴れとした表情が印象的。聖母マリアの静かな表情や、衣服の襞の処理の仕方に、ゴシック的な優美さが感じられる。

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アミアン大聖堂の受胎告知、13世紀、 photo by Eusebius (Guillaume Piolle).

 

 東方においては、『ヤコブの原福音書』に基づく、糸紡ぎや水汲みをするマリアの図像が広く流布していたが、イタリアにおいてはそのような図像は多くない。それでは、受胎告知の場面で、聖母は何をしていたのかというと、読書をしている姿で描かれていることが多く、一般に、マリアが手にしている書物は救世主の到来を予言したイザヤ書であると言われている。この本を手に持つマリアの、イタリアにおける初期の代表的な作例として挙げられるのが、ピエトロ・カヴァリーニの作品(1296−1300年)である。聖母マリアは画面右側で玉座に座し、大きく翼を翻した大天使ガブリエルとの間に、瓶に活けられた百合の花があり、空には父なる神の顔が描かれ、光線とともに聖霊の鳩が発せられている。後のイタリア絵画に見られる受胎告知の表現の原型がすでに出揃っている。

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ピエトロ・カヴァリーニ《受胎告知》、1296−1300、ローマ




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ジョット《受胎告知》

 


 1306年頃に描かれた、ジョットの受胎告知。アーチを挟んで向かい合うようにして聖母とガブリエルが互いに恭しく跪いている。糸巻棒に替えて本を胸にいだき、聖母の前には書見台が置かれている。また、以前の作例に見られるような、観念的な建物や抽象的な背景に代わって、カーテンの引かれた、遠近法を用いて描かれた現実的な室内が舞台として設定されている点が革新的である。フィレンツェらしい立体的な量感のある人体表現が見られる。

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シモーネ・マルティーニ《受胎告知》



 シエナの画家シモーネ・マルティーニによる作品で、受胎告知が独立した祭壇画の主題として扱われた最初の作例であると言われている。1333年。金地の背景に、国際ゴシック様式の優美な曲線がよく調和している。大きく弓なりに身を攀じるマリアの形姿や不安げな表情には、驚きや戸惑いの感情が強く表れている。大天使の口から、告知の言葉が文字で描かれているのが特徴的で、同様の表現はフラ・アンジェリコや、ファン・アイクの作品にも受け継がれている。また、ここでガブリエルが白百合の花ではなくオリーブの小枝を手にしているのは、白百合がライバル都市フィレンツェ守護聖人洗練者聖ヨハネの象徴とされているため、対抗意識がそうさせたとも言われている。このマルティーニの作品以降、ルネサンス期にかけて、受胎告知を描いた名画が数多く生み出されることになる。


受胎告知の身振り

 『ルカによる福音書』において、受胎告知を受けた聖母マリアの揺れ動く心情が簡潔に描写されている。「神の御使いガブリエルの最初の言葉に、マリアは一瞬『戸惑い』を覚えるが、それはすぐに『どうして、そのようなことがありえましょうか』という『疑問』に変わり、天使に『問いただし』て、道理を理解した後は、みずからへりくだって謙虚にこれを『受け入れ』、ついには神のお告げが自分の身に『成りますように』と祈るという次第である」(11)。

 つまり、受胎告知の場面で、マリアが取る身振りには、上記の戸惑いや驚き、疑問や問いかけ、受容と祈りのいずれかの意味が込められている。上述したマルティーニの作品においては、戸惑いや驚きが前面に出ており、またより露骨な例としては、同じくシエナの画家のアンブロージョ・ロレンゼッティの下書きがある。そこではマリアは突然の闖入者から逃げ去るように身を大きくひねり、激しい動揺により崩れ落ちんばかりである。

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アンブロージョ・ロレンゼッティ

  それとは対照的に、敬虔に御言葉を受け入れ、その成就を祈るようなポーズをとっているのが、フラ・アンジェリコによる、サン・マルコ修道院の僧房にある作品である。装飾を廃した簡素な室内で、胸の前で両手を交差させ、恭しく天使の方を見上げている。この敬虔で静謐な画面を眺めていると、自ずと神秘的な瞑想に誘われる。

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フラ・アンジェリコ《受胎告知》

また、フラ・アンジェリコと同様に僧侶で画家であったが敬虔なアンジェリコとは対照的な好色な生涯を送ったフィリッポ・リッピも、多くの受胎告知画を残しているが、1445年の作品が、「問いかけ」の身振りを示す好例であると思われる。「問いかけ」は「驚き」や「受容」に比べて、身振りで表現するのが難しいと思われるが、この作品における聖母マリアは、驚きに軽く身をひねりながらも、穏やかな表情で、ガブリエルの方へ手をかざす仕草によって、「どうして、そのようなことがありえましょうか」と冷静に問いかけているように見える。

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フィリッポ・リッピ《受胎告知》

 受胎告知の絵画はルネサンス期を中心に世界中で製作されており、その作例は膨大な量になる。あまり長くなるとページが重くなってしまうので、今回はここで一区切りにして、続きは後の機会に書きます。次回以降のテーマとしては、
受胎告知と遠近法

受胎告知の場所と日時

受胎告知の名画

バロック以降の受胎告知画

等を予定しています。肝心のルネサンス期の名画の作品解説がほとんどできていないので次回以降にご期待ください。

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参考文献

(1)岡田温司・池上英洋著『レオナルド・ダ・ヴィンチと受胎告知』、2007年

平凡社、p.18

(2)鹿島卯女監修、高階秀爾・生田圓著『受胎告知』、1977年、鹿島出版会、p.135

(3)同書、p.135

(4)矢代幸雄著『受胎告知』、1973年、新潮社、p.35

(5)同書、p.37
(6)渡邊健治著、『受胎告知の図像学』、1965年、共立女子大学短期大学部、p.6

(7)https://en.wikipedia.org/wiki/Bernward_Doors#Iconography

(8)https://www.wga.hu/frames-e.html?/html/m/master/zunk_ge/zunk_ge6/03doors1.html

(9)David.M.Robb,The Iconography of Annunciation of Fourteenth and Fifteenth Centuries,,The Art Bulletin Vol.18,No4,Dec,1936,pp.482

(10)同上、pp.481

(11)前掲書、岡田温司・池上英洋、p.83