アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

「もしも心がすべてなら、いとしいお金はなんになる?」ってシナトラが言ってたって寺山修司が言ってた。

深夜のちょっと不安定な気持ちの時に書いた文章とか思ったこととかって、次の日起きてから見返すとめちゃめちゃ恥ずかしかったりするけど、なんか頭の中がぐるぐるして眠れないから、あることないこと吐き出してスッキリしときたい。


日付が変わる手前までバイトして、今日と明日の境目くらいに帰宅した時、なぜかいつもすぐに布団に入って寝る気にはなれない。

そういう気持ちの時にアテもなく夜更かししてもよくわからないさみしさ切なさが夜の方から吹き込んでくるだけだっていうことは、よくわかってる。つげ義春の漫画で、どんなに暑い夏の夜でも、窓を開けて寝るのを嫌がる男の話があった。窓を開けたまま寝てしまって、眠りこけている間に夜が部屋の中に入ってきてしまうことを怖がっているのだ。似たようなイメージを僕も夜に対して抱いている。真夜中は、現実とフィクションとの境目がなんとなく曖昧になるから漫画や映画に没入できてそういう時は大好きなんだけど、なにかするわけでもなくぼんやりと、受動的な心持ちで夜更かししていると、きまって心に重苦しい気配が吹き込んでくるのだ。


アランが幸福論の中で言っていたけど、わけもなく不安になったりさみしくなったり、やたらに自分を責めたくなってしまうのは、ヒマだからだというのは本当だと思う。

せっかくの余暇を、文字通り持て余してしまって、悲しくなったりくよくよするのに費やしてしまうなんて、バカらしい。もっと頭を使った方がいいと思う。知性だとか教養だとか、自分が今まで見てきたこと聞いてきたこと好きなものを、そういう時に使ってあげるべきなんだと思う。

実存主義でもチルアウトでも、アランの幸福論でもブルーハーツでもソリティアでもなんでもいいから、なるべくいい気分でいた方がいいんだ。

センチメントや暗い気持ちは、繊細でナイーブな自分への自己愛と結びつきがちだけれども、ネガティヴな心性がアイデンティティだなんて、しょっぱいし大変だと思う。なにかを嫌う幼さは、早いとこ隠してしまった方がきっといい。子供のころ、食事のたんびに両親や学校の先生に好き嫌いをしちゃいけませんって言われて、なんでわざわざ嫌いなものを食べなきゃいけないのか全然わからなかったけど、好き嫌いをしていると自分がしんどいからだって今になって思う。

ここまで書いてふと、このセーターはチクチクするからきらいと言って、ハサミでチョキチョキ切ってしまう、昔観たロッタちゃんの姿が頭に浮かんだ。好き嫌いが人を輝かせることもたまには、ある。むずかしいな。

好き嫌いが人を輝かせることの例として、真っ先に浮かぶのがthe pillowsの『ストレンジカメレオン』だ。一番のサビの歌い出しの、「君といるのが好きで あとはほとんど嫌いで」って歌詞は、これ以上はないってくらい素晴らしくて、聴くといっつも涙が出そうになる。初めてこの曲を聴いた時からずっと長い間、実を言うと今でも、これが自分の行動原理と言えるくらいに心に深く食い込んでる。だけどストレンジカメレオンよりも、いつだってどこだってそれなりにやっていけるふつうのカメレオンになりたいなって最近は思うようになってきてる。360°ひねくれて表面上はめっちゃ素直、みたいなね。