アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

ひとつのカラダの来年の抱負

度を過ぎた食べ過ぎは体に悪い。誰からも好かれようと思うのは精神に悪い。何にでもやたらめったら節度を持たずにのめり込むことも、社会適応にとってよくない。
食べ過ぎは良くないけど、食べたいものがたくさんあるのはいいことだと思う。行きたいレストランをリストアップしてみたりすることは悪いことじゃないけど、それを1日で回ろうとするのは良くない。誰かと行ったりいつかの楽しみにしておくのも悪くない。そうしているうちに潰れてしまうかもしれないけど、それはそれで仕方がないじゃないか。腹八分目で満足した方がいいし、よく噛んで食べることも大事だ。そして食べ終わったら歯を磨くべきだ。
同じことが趣味とか娯楽にも言えるんじゃないか。食べ物をある程度貯蔵するのはいいけど、必要以上に買い漁って腐らせたり捨てたりしちゃだめだ。ちゃんと料理するなら料理して、保存食にするならするでその分だけ蓄えておけばいい。どうしても行きたいレストランがあったら、それはもう今週末にでも行ったらいいよ。食べ物には旬があるしね。旬の食べ物は安いしおいしいし栄養もあるから、本も自分にとっての旬なものをなるべく選んで読んだり買ったりするようにしたい。それはきっと悪いことじゃない。

メディアは身体を拡張するツールである、ってマクルーハンが言っていたけど、小学生の頃にはすっかりインターネットが普及していて高校時代にスマホが当たり前になった世界に育ったぼくは、自分でもわけがわからないくらいに身体感覚や欲望が膨張してしまっているんじゃないだろうか。
ここで自然に帰れ、みたいなことを言い出したらなんかちょっと安直な気がしちゃうけど、でも安直だとしてもぼくは実際ひとつのカラダでしかないのだ。NBAの選手になってW杯にも出て柔道で金メダルをとろうと思っても無理がある。一人で内野も外野も守れない。わかっちゃいるけどついついボールを追いかけてしまう。


今年は今までおろそかにしていたカラダに振り回される一年だった。でもおかげで少しはちゃんと向き合えるようになってきた。低気圧ってだけでゲロを吐いたり、急に指が動かなくなったりすることがなくなった。作れる料理もかなり増えた。一番大事な睡眠に関してはまだまだダメダメだ。来年はもっと、自分のカラダや財布とこまめに相談しつつ、身の丈にあった、そしてまだ若いんだからできればちょっとだけ背伸びをした生活を、焦らず作っていけたらいい。

コミュニケーション

こないだインターネットを徘徊していたら、こんな言葉に出会った。

行動学で言うコミュニケーションとは、他個体の行動の確率を変化させて自分または自分と相手に適応的な状況をもたらすプロセスのことである
ジャレド・ダイアモンド長谷川寿一訳『セックスはなぜ楽しいか』

コミュニケーション能力ってなんだろう…ということは常々ぼんやり考えていたけど、総括的な定義としてはこれがベストなんじゃないかと思う。
ちょっと小難しい言い方がされてるけど、要するに自分にしっくりくる、自分の調子が良くなる状況を自分から相手にはたらきかけて作る能力が、コミュニケーション能力ということかな。幅広い適応力を持っているっていうだけでも、それはそれだけコミュニケーション能力があるって考えてもいいんじゃないかな。
そうなると自分にとってしっくりくる人間関係とか状況とか環境ってどんなものか、ちゃんとわかってないといけない。そしてその逆も。
理想の人間関係なんて、時と場合と相手によって変わるけど、話すことがあるときは話して、ないときは黙ってていい。一緒にやる方がいいようなことがあれば一緒にやって、一人になりたいときには会わない。話を聞いてもらいたいときに聞いてもらって、相手が話したがってることを聞く。イラつかせるようなことはせずに、なるべく楽しい方向でやる。自分が気になることについて話し合いたいから、事前にある程度の興味とか知識とか情報の共有が済んでたら最高…っていちいち並べてたらキリないな。
自分も相手も楽しく過ごすには、気が合うとか趣味が合うとかだと一番手っ取り早いけど、そうじゃない人ともいい感じの関係築こうって思うと、たいへんだな〜。世代が違えば色々なことに対する認識や意識をすり合わせることから始めなきゃいけないだろうし、言葉が違えば言語の習得からだし、見てるものや目的がまるっきり違ったらもうどうしたらいいかわからないし、人参嫌いな人に人参の魅力を語っても仕方ないし、たいへんだなぁ〜〜〜。
コミュニケーションって相当たいへんだ。なんでも一からわかりやすく素早く正確に説明できる魔法の言葉に憧れるより、自分の適応できる範囲をなるべく広げる方向でいく方がまだ楽そうだ。スポーツとかお笑いとかテレビとか新聞とか流行りとかギャンブルとか、わかるようになったら楽になれるかな…女、パチンコ、喧嘩、単車………

有限

 最近、禅を学びはじめた。禅関係で一番有名な、鈴木大拙の本も読みながら、それが現在、どういうふうに理解され、どんなふうに消化されているのか、わかるような本も並行して読んでいる。マインドフルネスとか言われている、そういうやつ。ライフハックの記事や本を読むのは、バカにしたいような気持ちがありつつも結構好きだ。常に、生活をもっとよくしたいという気持ちを抱えているので。

 
 で、そういう禅の考え方やそれを申し訳程度に取り入れた生活態度やなんらかのメソッドを読んでいるうちに、僕はひねくれてるけど単純な性格なので頭がすっきりしてきた。どちらかといえば屈託マシマシ人間ではあるけど、日々頭に去来する心配や不安などの大部分は、認知の歪みからもたらされているという実感を得た。こういう素直なところ、いいと思う。
 
 自分の悩み事とかを、人生とか、社会とか世界とか、性格とか人格とか、そういうあらゆる混ぜるな危険ワードをふんだんにぶち込んでこねくり回す癖があるので、必要以上に怖がったり尻込みしたり自分を責めたりしているなあと気づいた。
 
 今日、大規模な部屋の整理をしていて、いらないものを捨てたり、まとめて片付け(押入れの奥に押し込んで目の前から消すこと)たりしているうちに、これまでのことを色々思い出して懐かしくなって寂しくなったりしているうちに、自分で自分の遺品整理をしているみたいだと思ってしまって精神が終わったんだけど、結局大事なものは何ひとつ捨ててないし、引越しに向けて部屋を片付けることに人生に関わるような大した意味はない。どうにか意味をひねり出すなら、部屋が綺麗になってよかった、くらいなものだ。
 
 つらいことや、暗いこと、悲しみやさみしさに対して病的なまでに敏感であることは、感性が豊かとか、感受性が鋭いとか言ったら聞こえはいいけど、それは単なる認知の歪みだ。こうやって断言するとそれはそれで別ベクトルの歪みであるような気もするけど、多分ポジティブもネガティブも同じくらい病的といえば病的なんだと思う。問いのあるところにしか答えはない、って禅の本に書いてあった。どんな二項対立も結局は便宜的なもので、二項対立で表せたり解決するような単純なことはほとんどない。自分の悩みって結局自分のからだや環境や生活から生まれるものだから、自分の習慣や生活を改善することでしか解決しなくて、まあなるべく気分良くいられたらいいよね。
 
 あと最近の大きな気づきとしては、時間は有限だってこと。命あるものはいずれ死ぬ、というようなことじゃなくて、まあそれはそうなんだけど、1日は24時間だってことに今日気づいた。今までわかってなかったから、これは大発見だった。例えば、今月に入ってから数えてみたら17冊本を買ったんだけど、そんなに読みきれるわけがない。漫画とか新書とかだったら1日足らずでさっさと読みきれるけど、小説とか思想書・学術書の類は1日じゃ到底無理だし、僕は読むのが遅いので一週間とか一ヶ月とか余裕でかかったりする。気分によって読む本を変えたり並行して何冊か読んだりするし、どうせいつかは読むから買わなくてもよかったとは思わないけど、1日が24時間しかなくて、その中で本を読む以外にも色々やらなくちゃいけないことがあるっていうことを全くわかっていなかった。
 生活に支障をきたさないように本を読める時間はせいぜい2〜6時間くらいのはずなんだけど、1日に30時間くらい本を読むつもりで本を買ったり読んだりしてたように思う。精神と時の部屋に住んでいるつもりだった。本に限らず何かに夢中になるといつもそうなっちゃう。もっとこう、計画性というか、自制心というか、1日のリズムやその日その日のスケジュールや身の丈に合わせて、好奇心とか知識欲みたいなものを調整できたらいいんだけど、無理に抑えようとすると途端に生きる気力を失ってしまうから難しい。
 これから少しずつ、時間をかける、ということを身につけていきたい。
 
   欲しい本をかたっぱしから買っていたら一週間も経たずに破産する。お金をやりくりする能力や、欲望を必要に応じて我慢したり先延ばしにしたりする能力がなかったらあっという間に身をもち崩すことは誰でもわかる。俺だってわかる。
だけどそれはお金に限った問題じゃない。時間だってそうだし、体力だってそうだし、やる気だってそうだし、頭の処理能力だって注意力だってそうだ。人間には限界がある。家にあるものを全部背負って歩くのは無理だし、この世にあるものを全部家に詰め込むのも不可能だ。選んだり捨てたりとりあえず仕舞っといたりしなきゃいけない。
  世の中には死ぬまでにとることができる食事の数を数えたりする人がいるらしいけど、そういうのも必要なんだろう。人が一生のうちで身につける教養とか興味関心の幅は25歳までに決まるとかいうけど、そうでもしなきゃやっていけないんだと思う。いらないものを捨てることはきっと必修科目なんだ。一度しっかりいるものといらないものを分けてみなきゃ。断捨離とかミニマリズムの本を読んでみようかな。と、また本を増やそうとする矛盾が生じました。バグが多いぜ。
 
 思ったより時間がかかることって、思ったより多いな。急がなきゃいけないことと、急ぐ必要のないことの見極めってむずかしい。

音楽

 

 音楽は慰めであるけれど、時には足かせにもなる。思い出を焼きつけるフィルムのような役割を果たすときもあれば、すべて忘れたい時にも聴ける。BGMや雰囲気作りにもなるし、天からの声のように響くこともある。音楽を聴いて、身体の芯から力がぐらぐらとみなぎってくることもあれば、突然の雨に打たれたみたいに気持ちが萎んでしまうこともある。音楽が人を生かすことがあれば、音楽が人を殺すことだってきっとあるんだろう。

音楽がぼくをころす。
青春をころす。
いつか、恨む日が来るだろうと、
わかっていたのに、ぼくは爆音の前へ行く。
音が、
ぼくから引きはがし吹き飛ばした、ちりみたいなものだけが、
ぼくの全てだった。死んだ人の音楽が、ぼくをころす。
かれらがぼくを愛することなど、
永遠にないのだということが、ぼくをわずかに生かしている。
—  最果タヒ『死んでしまう系のぼくらに』「レコードの詩」

 
 最近、音楽を聴いてばかりいる。音楽が好きだと思う。最近読んだ『HOSONO百景』がとても面白かったこともあるし、熊本で音楽や焼きたてのパンに囲まれた生活をちょっと体験したからかもしれない。大した理由なんてないのかもしれない。実際僕はいつだって音楽を聴いてばかりだった。最近あんまり聴いてなかっただけで。いろんな音楽を聴くきっかけになったボブディラン、フィッシュマンズレディオヘッド踊ってばかりの国、あと直近ではS.L.A.C.Kのことは、これからもずっと好きだと思う。
 
 『HOSONO百景』の中で、みんな大好きドクター・ジョンの『ガンボ』に触れて、細野晴臣が「何かと何かが交じり合ったところにいつもおもしろい音楽ができる。それはある特定の場所ではなく、音楽家の頭の中でごった煮になるんだ」って言っていておもしろかった。ドクター・ジョンのアルバムのタイトルになっている「ガンボ」っていうのは、「ニューオーリンズの名物料理で、ごった煮に近いオクラが入ったとろみのあるスープのこと」らしいんだけど、音楽には料理みたいな側面もあると思う。ぼくらのからだはぼくらが口から入れた食べもので作られているけど、同じようにぼくの気分は耳から入れた音楽によって形作られる。うるさい音楽ばかり聴いていたら胃もたれもするし、不用意に暗いものばかり聴いていると食あたりを起こしたりする。だけど暗いものもたまに聴くと、コーラが明らかに体に悪いのにおいしいように、とてもいい気分になったりする。毎日同じものを食べていてはうんざりするし、同じ音楽ばかり聴いていても元気がなくなる。たまには作ったことのない料理を作ってみたり知らなかった音楽を聴いた方が精神衛生にかなりいい。
 肉や魚ばかりじゃなくて野菜もそれなりに食べたくなるし、コーヒーを飲んだら眠れなくなる。夕方以降はなるべくコーヒーを飲まないように気をつけるのと同じように、カフェインの入った音楽はあんまり聴かないようにしている。朝は軽めの、時間のかからない音楽をちょろっと聴いて、おやつの時間には甘ったるいポップソングを聴く。冬にはあたたかいものやじっくり煮込んだような音楽を聴きたくなる。
 
 どういうマインドで物を買ったり、あるいは職業に就いているのかってことは、投票みたいに真っすぐには政治に結びつかないかもしれないけれど、ある場合には投票以上の影響力を持つこともある。つまり、十分に政治的なことなのだ。なにしろ、俺たちの行動の集積が社会なのだから。ゆえに、政治と生活の境界はとてもぼんやりとしていて、なんとも言葉で表しにくいものだと俺は考えている。
 俺の音楽だって、そういう生活のなかから生まれている。電車に乗り、バスに乗り、ふらっと小汚い中華料理屋で炒飯を食べて、自分の作業場で曲を作って、自宅で歌詞を書いている。どんな街でどんな暮らしぶりなのかということは、ものすごく作品に影響する。どこにいっても顔がバレてしまって大変、みたいな状況ではやっていけない。普通という言葉は扱いがとても難しいけれど、俺が考える普通の暮らしのなかから、一切の音楽と言葉が生まれている。
 そう考えると、音楽と政治との間にだって、大きな、はっきりとした隔りなんてないのだ。屁理屈ではなく、どこかで地続きなのだ。
 (中略)君がどんな音楽を選んで聴くのかということは、どこかで社会に関わっている。どのような方法で聴くのかについても、聴いた後でどんな気分になるのかということも、どこかで社会に関わっている。
後藤正文『何度でもオールライトと歌え』
 
 最近エナジードリンク的な音楽があんまり聴けなくなってきた。躁的なテンションがおそろしい。もっと揺れるように踊れる音楽が好きだ。
テンションって、いまでは元気とか明るさの度合いみたいな感じで使われることが多いけど、もともとの意味は緊張で、テンションが高い時っていうのは、確かに緊張感が伴っているような気がする。四六時中緊張していても仕方がないので、朝とか、ちょっと気を引き締めなきゃいけない時だけテンションの高い音楽を聴くようにしてる。
 
 最後に、最近よく聴く曲やアルバムをぺたぺた貼って終わります。
 
 
 映画『20センチュリーウーマン』の中で、印象に残ってるセリフは両手でも足りないくらいたくさんあるんだけど、デヴィッド・ボウイに憧れて赤毛にした女の子の「つらいことがあったら踊るのよ」という言葉が頭から離れない。長い手足と赤いショートヘアーを振り乱してトーキング・ヘッズで踊るあの子はとても素敵だった。
 
Hejira

Hejira

 
Nothing Like the Sun

Nothing Like the Sun

 
ナイトウォッチ(紙ジャケット仕様)

ナイトウォッチ(紙ジャケット仕様)

 
 冷たい夜とかに聴く。眠れない時はケニー・ロギンスの『Nightwatch』を聴きながら夜を見つめる。なんとなくエドワード・ホッパーの描いた人や街を思い出す。代表作の<<ナイトホークス>>と題名が似てるからかな。ちなみにナイトホークスっていうのは”夜更かしをする人”のことらしい。格好良い。
 

 

There's a Riot Goin on

There's a Riot Goin on

 
Voodoo

Voodoo

 
   学校まで歩いて行く時とかに聴いてる。濃密なリズムを耳から流し込んでいるうちに体にきちんと力が入るようになってくるような気がする。
 
King Tubby Dancehall Style Platinum Edition

King Tubby Dancehall Style Platinum Edition

 
我時想う愛

我時想う愛

 

 エンドレスリピート。大のお気に入り。

 

 

メリメリ

メリハリのある生活、という言葉にまぶしさを感じている。ぼくは地を這うような志を持ちそれに見合った生活をしているけど、「早く人間になりたいと」という気持ちをいつも抱えているので、実用書めいたものもたまに読む。この前読んだ睡眠に関する本でも、自律神経を整えようみたいな本でも、結局安定した生活リズムとそれに基づいたメリハリのある生活がいちばん大事、ということになっていた。
メリハリの効いた、活き活きとした毎日を送れたらいいなとはもちろん思う。ところで、メリハリというのはもともと邦楽の用語で、メリが低い音、ハリが高い音を指すらしい。だからメリハリのある生活というのは、高い音と低い音がバランスよく響き合っているような暮らしのことなのかもしれない。思えば低音が効いた音楽ばかりが好きな気がする。これを無理やりあてはめると副交感神経が優位な暮らしをずっとしているということかな。昼間は高い音が目立つものを、夕方くらいからは低い音を聴くようにしてみようと思う。なんだかズレているような気もするけど。ちょっと楽しそうだから。

 

Lee Perry And The Upsetters - Jungle Lion - YouTube

Wes Montgomery - Here's That Rainy Day - Live London 1965 - YouTube

Vanilla - Traveller - YouTube

 

生き延びるために聴いてる音楽が自分で死んだひとのばかりだ/岡野大嗣『サイレンと犀』

 

これすごくおもしろかった。↓

vaporwaveがどのようにしてインターネットで作られ、そして、壊されたか。|CAHIER DE CHOCOLAT

ゼロから始める自炊生活

 
 高校を卒業するまで、僕はずっと実家にいた。家の手伝いといえば、風呂掃除とゴミ出し以外はまるでしなかった。体感としては自動で服が洗濯され、風呂が湧き、部屋が綺麗になり、日に三度美味しい食事が出てきた(お父さんお母さんありがとう)。
 大学進学を機に一人暮らしを始めたのだけど、もともとロックスターの破天荒な伝説(キース・ムーンシド・ヴィシャスがお気に入り)をネットで読むのが好きだったり、自制心や計画性がなくノーフューチャーで夢見がちな性格だったため、生活や健康は退屈でダサいと決め込み、たまの飲み会や友達との外食以外は、チンするだけだったりお湯を入れるだけのレトルトのカレーやカップ麺、または菓子パンやカロリーメイト、そしてお金がない時はケチャップを吸ってタバコを野菜スティックだと思い込むことで生き延びていた。
 そんな日々を続けているうちにお金が続かなくなったり、不眠がちになったり、気圧に弱くなったり、指が曲がらなくなったり、とにかく体調が、というか心身ともに不安定になっていたのと、もう成人してるしぼちぼちちゃんとしなきゃと思ったのと、軽い筋トレを始めて筋トレには食事が大事と知ったこととか、色々重なって自炊を始めてみようと思った。何より、自炊をマスターすれば外食するよりもはるかに食費が安く済み、食費が安くなればかかるお金が少なくなり、かかるお金が少なくなればどこにどう住むとしても根本的な生存確率が上がる、と思い当たったからだ。
 
 そんなこんなで今では毎日自炊をするようになった。学校がある日はもちろん、日付が変わりそうな時間に疲れてバイトから帰ってきても、ご飯を作って食べることができるようになった。ご飯を食べないと寝られないことに気がついてから、どんな時もご飯を食べるように気をつけている。たくさん食べる、というのは生命力の象徴だ。僕は家で昼ご飯を作りたい気持ちが余って、可能な限り午前中に授業を入れないように時間割を組んだ。だけどこれは大学生だからできる特権的な振る舞いなので、ゆくゆくはお弁当を作れるようになりたい。そのために大切なのはきっと作り置き、常備菜、既存の安価なレトルト食品や冷凍食品をいかに活用するかだと睨んでいる。主食に関しては、兄が教えてくれた玄米、押し麦、大豆を混ぜた「最強飯」が良さそう。↓
 
・自炊をするために何が必要か
 ここからは、僕のようにまったくのゼロから自炊生活を始めるにあたって、必要なものや心構えについて僕なりに書いていきます。なんでこんなことを書くのかというと、自分のための忘備録にもなるし、無理なく持続可能な自炊のシステムを作ることに興味があるのと、情報共有というか、オープンソース的な雰囲気って素敵じゃんと思うからです。自炊に関するノウハウ、どんどんシェアして食卓を豊かにしていきましょう。
 
・必要な設備
 コンロ(IHでもガスでも)
 炊飯器(三合も炊けたら十分)
 電子レンジ
 冷蔵庫
 包丁・まな板
 鍋、フライパン(蓋つきだと便利)
 菜箸、おたま、大さじ
 計量カップ(500ml)
 シリコンスチーマー
 ざるとボウル(あると便利)
 だいたいはどこの家庭にもあるかと思いますが、なかったら買うべきです。包丁はセラミックのものがオススメです。錆びないし切れ味が落ちないので手入れが要らなくて楽チンです。ただあんまりかたいもの(かぼちゃとか)を切ると刃が欠けて買い換えなきゃいけなくなるので注意が必要です。野菜とか肉くらいならサクサク切れます。サクサク切れないと料理が一気にめんどくさくなるので包丁は大事です。まな板はぺらぺらのものよりもある程度厚みのあるものの方が使いやすいし洗いやすいと個人的には思います。百均で包丁とまな板を一緒に立てられるスタンドが売ってるのでそれを買って置いておくとと乾かすのも使うのも楽です。
 一人暮らしの狭いアパートで自炊する際に立ちはだかる大きな壁の代表は、コンロが一口しかないこと、だと思います。コンロが一口しかないと、パスタを作るのも一苦労です。麺を先に茹でると食べる頃にはカピカピし出すし、ソースを先にすれば冷めたソースをパスタにかけることになります。パスタは簡単、誰でも作れる自炊の基本というふうによく言われますがそうでもないと思います。一口のコンロでパスタはとてもだるいしめんどくさい。あと関係ないですが誰でもできると言われているコンビニのバイトが実は覚えること多い上にある程度の機転や俊敏さ、接客スキルが必要なハードルが高いバイトであることにも違和感を感じます。
 また、理想的な食事として「一汁、三菜」というのがありますが、これも困難です。一口コンロでは、一汁作るのでいっぱいいっぱいで、そのまま行くとゼロ菜です。現実的なことを言えば、丼モノとかカレーだとかの一品料理を作って食べることが増えると思います。
 そこで登場するのがシリコンスチーマーと電子レンジです。具材を切って調味料を入れてチンするだけで、実に多彩な料理が完成します。電子レンジでおかずを作れたらコンロで味噌汁を作ることもできます。またはコンロでおかずを作ってスチーマーでもう一品的な小鉢を作るのもいいでしょう。僕が思うに、ハードルの低い持続可能な自炊生活を続ける鍵はシリコンスチーマーです。シリコンスチーマーで作れるレシピ集、みたいな本が手元にあると楽しくなるのでオススメです。僕が使ってるのは豊口裕子の『電子レンジ シリコンスチーマーでごちそうレシピ100』です。サケのチャンチャン焼き、豆腐とキノコのうま煮、蒸し野菜、なすのポン酢煮、レンコンの煮なますなどをよく作ります。ちなみに、本当に100個載ってます。あとこの本でポイントが高いのは、「そんな調味料、普通の家にはねーよ!」と言いたくなるような飛び道具を使わないレシピが多いことです。

 

電子レンジ シリコンスチーマーで ごちそうレシピ100

電子レンジ シリコンスチーマーで ごちそうレシピ100

 

 

 僕はまだ試してないですが、炊飯器を調理器具の一つと捉えてバリバリやる方法もあるみたいです。この記事に詳しい。↓
 
・必要な心構え
 便利な道具やレシピは使え
 ハードルを下げろ
 丸腰で立ち向かおうと思うな
 この三つは大事です。自炊をするとなると、せっかくなら料理上手になりたい、おしゃれな料理を作りたい、などの雑念が湧いてきます。が、突然自分を根気もセンスも技術もあるスーパーマンだと錯覚するのはやめたほうがいいです。くだらないプライドはまずい料理とやる気の消失に直結します。目分量で味見しながら味を整えていくやり方も、初めのうちはやめたほうがいいです。慣れないうちはレシピを守って理科の実験めいた作り方をした方がおいしいものができて、モチベーションが上がります。大さじで調味料を量って入れるを繰り返しているうちに、「大さじ一杯の醤油の量はこんなもん」というのが体感としてわかるようになってくるので、目分量であれこれするのはそれからでも遅くないと思います。
 また、電子レンジや炊飯器で料理をするというと、そんなの自炊じゃないやいと思う向きもあるかと思いますが、食えりゃいいんです。何よりも大事なのは食べること、そして続けることです。あと買い物のときに底値にこだわりすぎるのも良くないです。なぜならめんどくさいからです。
 それと、生活という強敵に丸腰で立ち向かおうと思ってはいけません。へとへとに疲れたり、どうしても料理をする気になれなかったり、お腹と背中がくっついて今すぐ何か食べないとやってられない、という日はどうしたってあります。今までだって数限りなくあったのだから、これからだってあります。そういう日も何とかご飯を食べるためにご飯を冷凍しておいたり、100円ローソンで冷凍食品(ぼくは餃子と唐揚げ)を買っておいたり、サッポロ一番を常備していたりします。ちなみにごはんを冷凍するのは茶碗一杯分ずつ、ラップに包んで冷凍するのがいいです。タッパーなどに入れるよりも解凍が楽です。茶碗一杯分だと500Wで5分くらいでチンするとホカホカになります。なるべく楽に、なるべく早くご飯が用意できる仕組みを自分なりに整えておくこと、大事です。
 また、地味にめんどくさくて最初のうちに一番わからないことは、スーパーでの買い出しです。一体何を、どれくらい買えばいいのか。さっぱりわかりませんでした。長きにわたる試行錯誤の末、自分なりの「冷蔵庫に常備しておく食材リスト」が出来上がってからは、スーパーに行くのが楽しくなりました。また、さっき似たようなことを書きましたが、レシピを調べて作ろうと思ったとき、必要な調味料が家になかったとき、急激に萎えます。そんな経験をこれまた何度も繰り返して、最低限必要な調味料についてもわかってきたので、いつも家に置いておくべき食材、調味料のリストや、冷蔵庫の中身の回し方について、また今度書こうと思います。もちろん、それを頑なに死守する必要はなくて、食べたいもの、作りたいものがあればそれも買えばいいです。ただ、毎日毎日「食べたいもの」基準で献立をひねり出すのは大変な作業です。なのである程度ルーチン化してしまったり、冷蔵庫の中身や栄養の面から献立を組み立てたりする術を身につけることは自炊をつづけるために、とても大事なことだと思います。
 今回は、なんだかすごくブログらしい記事を書いてしまった。

鍋のようだ

 生活っていそがしい。今年から、生活というものを意識してちゃんとやろうとしてきたのだけど、そうすると季節の移り変わりが身にしみてわかるようになった。今週は冬将軍がやってきて秋を惨殺して街をすっかり冬に変えてしまったけど、スーパーに行くだけでもそのことがよくわかる。スーパーで並んでいる野菜の顔ぶれが変わった。今ではすっかり大根、白菜、レンコン、ごぼう、キノコ類がでかい顔をして棚にどかっと並んでいる。夏と同じような食材を買おうとすると夏のときよりもはるかに高くなる。生活をするようになってから初めての冬なので、冬の食材の調理方法がいまいちわからない。特にごぼう。なんだあれは。長すぎる。

 よしながふみの『きのう何食べた?』を一月一冊くらいのペースでちまちま買って読んでるんだけど、その中に出てくるけんちん汁と、炊き込み御飯が冬の食材をたくさん使ってて美味しそうだから、近々真似してみるつもり。この漫画の筧史朗と佳代子さんの、特売情報や食べきれない食材をシェアする関係性が素敵。

 それから、人参、キャベツ、じゃがいもあたりは、一年を通してほとんど値段が変わらずに安く手に入るからやっぱり偉い。特にキャベツは量も多いし、キャベツをものにしたら、自炊生活はかなり安く、快適になるんじゃないかという予感がある。だからキャベツの調理法をなるべくたくさん身につけたくて、ほぼ日刊イトイ新聞・編『がんばれ自炊くん!』の「キャベツで生き延びよ!」のコーナーを熟読している。キャベツ一玉がまるまる冷蔵庫に居るときの対処法がたくさん書かれていておもしろい。

 あとは吉田戦車の『逃避めし』もおもしろい。ものぐさだけど絶妙にそれっぽい、冷蔵庫にあるものでなんとか様になるようなものを作ろうとするハードルの低さがとてもよい。

 なんとなくこの連載は、小さい人や若い人に読んでもらいたいような気持ちが常にありました。
 適当でいいから、基本さえおさえれば、自分の身を養うシンプルな食事は自分でまかなえる。こんな程度のものでいいんだよ、と。
 自分の子供へのメッセージでもあったかもしれません。
 今赤ん坊がいるわけですが、10年後には10歳になります。
 その時にたとえば親の留守中、一人で冷や飯に味噌汁をかけて一食とすることができるような「食う力」を身につけてくれたら、どれほど安心なことでしょうか。 

吉田戦車『逃避めし』あとがき

  食は生きる上での楽しみの一つかもしれないけれど、楽しみだろうがめんどくさかろうが毎日なにかを食べなければいけないわけで、生きてる限り食事はし続けるわけだから、まず「食う力」を養うことがいまの僕の目標。「食う力」には興味津々だけど僕はもともとあんまり食に関心がないので、施川ユウキの『鬱ごはん』はいちいち共感しながら楽しく読めました。あとフランス人の適当な食事情の話とかも好き。

 細野晴臣の『HOSONO百景』を読んで、この人は食事をとるみたいに音楽を聴いて、料理をするように音楽を作るんだなあと思いました。あのごった煮感は、クセになる。

 

 季節が変われば暮らしが変わるみたいな話にしたかったけどぐちゃぐちゃして終わりました。それはそれで鍋みたいでいいかなと思います。冬だし。