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アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

頭の中の地図について

頭の中の地図について、最近よく考える。それは大げさに言い換えると、その人が自分の暮らす街や、世界についてどんな風に捉えているかということだ。頭の中のカレンダーについても同様だ。僕のカレンダーにとっての祝日は、追いかけている漫画の発売日だ。今は押切蓮介福満しげゆき

ダヴィンチの6月号が、穂村弘in京都ワンダーランドという特集をやっていたからすぐ買った。穂村弘は京都によく来るらしいけど、神社仏閣はほとんど行かずに、古本屋ばっかり行くらしい。そんな穂村弘から見た京都、を取り上げた特集だった。だから河原町祇園や宇治などのいわゆる観光名所はあんまり載ってなくて、市役所前や寺町通一乗寺百万遍なんかのお店がたくさん載ってる。それは僕が暮らしている京都に近くて、なんだか嬉しくなった。

頭の中の地図は、その人の興味関心のある事柄によって大きく変わる。僕の場合は古本屋やレンタルビデオ屋や映画館、喫茶店やゲームセンターなんかが中心的な目印になっていて、例えば京都市役所前は三月書房とアスタルテ書房がある町だし、千本丸太町はマヤルカ古書店や古本はんのき、千本日活なんかが目印だ。京都駅に何があるかと聞かれたら、みなみ会館があると答える。だけど観光名所や良い飲み屋さんや女の子が喜びそうな場所については、あんまり知らない。人によっては、頭の中の地図の目印は、ライブハウスやケーキ屋さんや、おしゃれで美味しいランチが食べられるお店だったりするんだろうと思う。

頭の中の地図には種類があって、今言ったような地理的な地図もあれば、自分なりの本の地図、映画の地図、ゲームの地図なんかもある。すごくごちゃごちゃしていて、人が見てもきっと何にもわからないけど、本人からしたら大事な地図だ。古本屋さんに出かけて行く時、頭の中がなるべく複雑な方が楽しい。からっぽの頭で本棚を眺めても、流行ってる本とか、タイトルや表紙が魅力的かどうかぐらいしか、本を判別する尺度がないけど、頭の中の本の地図と照らし合わせジロジロ店内を歩き回ると、とんでもない宝物に出会えたりする。僕にとっての案内人は主に穂村弘高橋源一郎保坂和志と実家の本棚とシュルレアリスムだ。近頃は80年代のヴィヴィッドな青春小説にハマっていて、近所の古本屋さんでこの前J・マキナニーと窪田僚が安く買えた時は嬉しかった。最近は正津勉の詩集(『青空』が読めるやつ)とか加藤治郎の昔の歌集とか小島信夫の『私の作家遍歴』とかA・ブルトンの『魔術的芸術』が安く買えるところはないかなと思っているし、アラゴンノーマン・メイラーが書いた本が何でもいいから読みたいと思う。そういう風に自分の中でのレア本や欲しい本を頭の中にたくさん抱えて古本屋さんに出かけると、気分はすっかり宝探しだ。最近は欲しい古本はamazonでポチってしまうことが多いけど、やっぱり自分の足で歩いて出かけてじっくり探して欲しかったものを見つけた時の方が、何倍も嬉しい。最近嬉しかったのは上野昂志の『肉体の時代』が1000円で買えたこと。桜井哲夫『思想としての60年代』の中でちらっと触れられていて、気になっていた本。ゴダールの『勝手にしやがれ』論からジャズ喫茶、歌謡曲やGS、『平凡パンチ』まで扱っている体験的60年代文化論の本で、すごく面白い。

こういう古本屋巡りの楽しさは説明してもあんまり人には伝わらないかもしれないけど、穂村弘のエッセイ『もうおうちへかえりましょう』を読むと古本ハンターの楽しさや苦悩が上手に書かれてて面白い。

それと本のある生活を描いたもので、高野文子の『黄色い本』がすごい。小池光の『街角の事物たち』を読むと、短歌のある生活ってこういうものか、とわかって興味深い。どうすごいのか、どう面白いのかは長くなりそうだから今は詳しく書かないけど、きっとまたいつか。一言で言うならば『黄色い本』は、自分以外の物語を抱えて毎日を過ごすことの楽しさと歯痒さが、『街角の事物たち』は文学や短歌を、自分の生活と照らし合わせて読んだり考えたりすることで味わえる滋味が感じられるところが魅力的。映画についても、まとめてみたい。とりあえず、今本屋さんに並んでるダヴィンチ6月号はおもしろいぞ!