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アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

ロマンスがありあまる僕たちへ

人って流されやすい生き物だと思う。こだわりがあるとか、譲れないものがあるとか、芯がある人とかいうと、格好良いように思われるし僕もそう思うけど、人は流されやすい生き物だと思う。でもそれは悪いことでは全然なくて、環境適応能力というか、進化の過程で、人間という生き物が、気持ち良く生き延びるために身につけた一つの立派な、大事な能力なのだと思う。

21歳になると、もう十代では全然なくて、ハタチとも違って、そろそろ大人になる準備をしなきゃなあという気が起こってくる。それで、大人ってなんだろうとか考えたり、自分はまだまだ子供だなあとかとか思ったり、こういうことを考えているといつも同じことで悩んでしまうなあといつもと同じように悩んだりしながら、大人っていうのは分別がつくことなのかもと思う。考え方や感じ方、身体の大きさや朝起きた時の気だるさとかは、きっとずっと変わらないのだという予感がある。今となんら変わらない自分のまま、大人としての毎日をうまくやっていく技術、のようなものを身につけられたら、そしたら大人なのだと思う。大人のフリができるようになったら、大人なのだと思うようになった。

十代の頃は、というか本当のところ今でもついつい、自分のやりたいことだとか、なりたい自分だとか、アイデンティティがどうこうとか、”自分”の問題は世界中のどんな事件より人類の歴史より地球の自転よりも重大な問題で、いつもあれこれ悩んで迷って、それを十年近くずっとやっていたら単純に疲れてきて、結局自分のことも人のことも、社会のことも人類の歴史も、何にもわかっていないけれど、大人になって、仕事の一つでも始めたら、きっと毎日やることがたくさんあって、やるべきことをやる時間が増えて、そういう青臭い問題に取り組む時間というのは少なくなって、幾分楽になるかもしれない。何かやることがある、人に会ったり、頭や手を使ってやるべきことがあるというのは、きっと身体は疲れるし、また別のストレスもあるだろうけど、きっと良いことなんだと思う。というか、それ以外に何かやることが人生にあるんだろうか。

自分というのは一人でに自分の心の中にぽこぽこ湧いて出るようなものでもなくて、自分が関係を結んだ諸々のもの、社会、お金、法律、テレビ、好きな歌、住んでいる場所、人間関係、自分の身体、などなどの隙間、そのたくさんの関係の網の一つの結び目くらいのものなのだと思う。

最近はお世話になった先輩方が社会人になって、一個上の先輩も就職活動を始めて、どうしても社会に出て働くってことを意識せざるを得なくなっている。ここでもやっぱり流されている。テレビを見たり雑誌をめくったり街に出たりするといつも思うのだけれど、資本主義社会って徹頭徹尾お金でできているのだと感じる。お金があったら長生きもできるし快適な環境も作れるし、楽しみも増えるしそばにいる人を幸せにすることだってできるし、お金がないとやっぱり引け目を感じたり、不幸だって思っちゃったりするようにできている、か、少なくともそう仕向けられている。この社会の中で生きていくということは、もろもろの価値をお金で測って生きていくということなのではないか。少し違うかもしれないけれど、近いものはあると思う。世の中はお金でできているとしても、人間がお金でできているわけではないから(鉄分は含まれているけど)、本当のところはどうかわからないけれど、若いうちは、とりあえず大学に出てすぐは、あんまり深刻になりすぎずに、一生懸命働いて、とりあえずお金を稼いでみるべきなのだろうと思う。そしたらきっとまた見えてくるものがあるだろうと思う。

だから、少なくともこれから向こう十年くらいは、あんまり深刻になりすぎずに、その時々のやることをやって、思い切り息抜きもして、その時々に訪れる、それなりに楽しいことやそれなりに辛いこと苦しいことを享受して、それで何とかやっていくために、今までに培った楽しみの見つけ方だとか、夢の見方とか、妄想とか想像力とかを総動員して切り抜けていこうと思う次第です。

今回こんな風なもの分かりのいい人ぶった文章を書いたのも、舞城王太郎の『ビッチマグネット』と、南Q太の『こどものあそび』と、柴崎友香の幾つかの小説を読んで、なんとなくいい気分になったからです。