アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

色とか

エスカレーターの手すりとか、ガードレールとか、駐車場のフェンスとか、選挙ポスターとか、商店街のシャッター、電話ボックス、自動販売機、ブロック塀、室外機、そういう日本でありふれたものたちって、どうしてあんなにはっきりしない、くすんだような、くたびれたような色をしているんだろう。もっと鮮やかで、明るい、ハキハキした色にした方が、喜ぶ人が多いんじゃないかと思うんだけど。写真でしか見たことないけど、チュニジアの白い建物が並んでいる街並みは、青い空がよく映えて、それだけでちょっとうれしいじゃないか。
ぼんやりとした色のほうが、他のいろんなものと並んだときに、ぎくしゃくすることが少ないからだろうか。ぼくが地味な色の服ばかりを選んで買ってしまうのと同じような、小心的な防衛の構えなんだろうか。触らぬ神に祟りなしというか、けばけばしい色彩に不快感を感じる人のほうが、地味な色にわざわざ文句を言うような人よりもずっと多いんだろうか。

話は変わるけど、人間らしい生活という言葉を目にするたびに、もやもやする。人間らしい生活、それはとても尊くて良いものとされているような口ぶりで発せられるけど、人間らしいって一体なんだ。人間は時代や地域によって、本当にコロコロと生活態度を変えているじゃないか。人間らしい生活なんて、まだ確立されてないんじゃないか。◯◯するのは人間だけ、とかも言うけど、それが人間の本性のように語られるのにも違和感がある。怒ったときに出るのがその人の本性だ、という物言いに感じるのと同じ質の違和感がある。極端な部分をクローズアップして、これこそが本来の、正直なあり方ですって囃し立ててるみたいで、乗り切れない。
人間は動物とはちがう、ならまだわかるけど、人間は動物じゃない、とでも言いたげな態度をみるとうーんと思う。それじゃ動物と一緒じゃん、と言うとき大抵は侮蔑のニュアンスが含まれているけれど、そうじゃなくても人間は動物と一緒だと思う。でもこれは適切な言い方じゃない気もする。同じ部分もあるけど、固有な部分もある。そしてこれでは何も言っていないのとおんなじだ。ものを言うのはむずかしい。言いっぱなしならいいけど、誤解を避けようと思ったら、無駄に引き伸ばされてしまうし、角が取れて、結局なにも言っていないような感じになる。そもそも、不特定多数に向かって言いたいような大層な何かなんて持ち合わせてない。そういえば、この前寝て起きたら、「主体性はあるけど能動性はない」っていう文句が頭に浮かんで、なるほどと思った。ここに書いているのは、すべて宛先のないただの雑感。用もないのに長電話をかけるような、そんな感じ。ひとりで文字でしゃべっていると、軽い運動をしたあとに似たすっきりした気持ちになれる。