アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

 Twitterを見ていると、大阪市廃止の住民投票をめぐるツイートをしばしば目にする。恐ろしいことに、僕のタイムラインでは左寄りの情報しか流れてこないようになっているので、今回の大阪市廃止の件についても、その「隠されたデメリット」の情報が次々に飛び込んでくる。良くないことだけど僕はあまり政治に明るくなく、都構想に関しても、推進派が主張するメリットを聞く前に、その見せかけのメリットの裏に潜んだデメリットについてどんどん詳しくなっていく。対立する意見がある時、どちらか片方の意見のみを聞いてそれを鵜呑みにする、という選択はあまりするべきではないが、こうも情報が偏っていると、なぜこうも穴だらけの構想を強行しようとしているのか、さっぱりわけがわからない、と言うふうにしか思えない。「維新は情報を隠している」とする反対派の声だけが聞こえて、維新の発信する情報は僕の耳には入ってこない。フィルターバブルの強固さを実感している。
 十分な情報が与えられていなければ、正常な判断はできない。一方で、十分な情報が与えられていたとして、それで正常な判断ができるとするのはなぜか。その判断をする際の基準が、妥当なものであるとどうしていえるのか。例えば都構想に関しては、二重行政の解消による効率化でお金が浮くということが言われている。とはいえ都構想の施行のためには莫大な予算がかかる上、大阪市政令指定都市でなくなることによって予算が減り、また大阪市独自の裁量権も制限されるため、大阪市単体で見た場合では、使えるお金が増えることにはならない、という意見もある。どちらが正しいのか。どちらかが正しく、どちらかが間違っているとは限らないが、どちらを選ぶべきなのか。
 正しい情報をもとに、正しい判断を下す、ということが難しくなってきている。同じデータを手にしていても、どこに着目するかで判断は変わってくる。なにをもとに判断を下すべきなのかがよくわからない。結局のところ、「誰が言っているか」で決めてしまいがちだ。そうなると選挙はただの好感度ランキングになってしまう。そんなアホなことがあるか。パンケーキ食べて庶民派アピールすることが政治思想よりも大切か?
 限られた財源でやりくりするのだから、無駄を省くことは大切なことだが、それは本当に無駄なのか?都構想の実現により公共施設が減るといわれている。それらの公共施設は余分なものであるというふうに解釈されているわけだが、それらに一人も利用者がいないわけではないだろう。運営費に対して利用者が少ない、それらの施設が赤字を出し続けている、ということがその施設が無駄であることの根拠とされていると思われるが、少ないが確かに存在するニーズに対して、赤字を出し続けながらも提供できるということこそが公共施設の公共たる所以ではないのか?赤字はすべて無駄であるから省くべき、というのは民営化に通じる思想であるように思える。それが無条件でいいことであるとは思えない。こうなると国家の役割というか、国家はどこまで市場に介入すべきか、という問題と絡んできて、どんどん話が大きくなっていってしまって、手に負えなくなってくる。だから政治の話は難しい。

 それにしても、知識とはなにか?