アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

「そんなことで苦しめるあなたは恵まれている」

 インターネットをやっていると時々、苦しみを吐き出す人に対して、「そんなことで苦しめるあなたは恵まれている」「そんなものは苦しみとは呼べない(私のほうが苦しい)」などといった意味の言及がなされるのを見かける。僕が最近ツイッターで見かけて気になったのは、「世は地獄と嘯きながらも生きていられる環境は恵まれている」というような言い回しで、まずこのツイートがなされた文脈としては、現状を嘆いてばかりで満足するのではなく、状況を改善するためのアクションを起こすべき段階にいるのではないかという問題意識がありつつ、ツイートの旨としては、生存を第一目標としなくても生き延びることが出来る環境というのはそれだけで得難く素晴らしいもので、それだけ命が守られることが当たり前になっている環境を未来の世代にも残したい、というもので、反論の余地はまったくない真っ当な意見であるのだが、それを主張する過程で、「『世の中そんなもん、人類は無能、世界は地獄、以上。』と思って生きてられる、その環境の恵まれっぷりよ。そう思うことすら許されない人生のあり方や短さがいくらでもある。」という言い回しを入れる必要はあったのか、その言い方は適切なのか、「世界は地獄」と考えて苦しんでいる人に対する抑圧として機能してはいないかということがどうしても引っかかってしまった。
 この言い方の内には、世は地獄と言える状況に言える人の苦しみよりも、言えない過酷な状況にいる声なき人びとの呻きの方がより甚大な苦痛である、あるいはより高度な苦しみであるという考えが暗示されており、これは穿ち過ぎな見方であるかもしれないが、貴方よりも苦しんでいる人がいるんです(だからそんなことでギャーギャー騒がないでください)というおなじみの抑圧のフレーズが潜んでいるように思えてしまう。
 ここには三重の意味で誤謬が含まれており、第一に、地球上で最大の苦しみも、個人が感じ取ることができる以上のものではないということ。つまりその苦しみが生じている状況、苦しんでいる主体が置かれている環境がどのようなものであるかということによらずに、その人の苦しみは考えられる限り最大の苦しみになりうるということ。つまり苦しみの大きさというのは外的な状況によって推し量ることができるものではないということ。そもそも苦しみというのは客観的に数量化して比較ができるようなものではない。この苦しみよりもあの苦しみのほうが大きいと言うことはできない。というよりも意味を持たない。
 第二に、この世で一番苦しんでいるのでなければ苦しんではいけないという決まりは存在しないということ。これは僕の穿った見方が生み出した呪いであるに過ぎないかもしれないが、苦しみを感じたとき、しかし僕よりも苦しんでいる人がいるではないかと考え、己が感じた苦しみを無化しようとしてしまうことがあるが、これは有害な抑圧以外の何物でもない。通りで財布を取られた人に対して、「でも命まで取られなくてよかったじゃないか」と声をかけることは、慰めではなく抑圧である。「命まで取られなくてよかったじゃないか」という台詞は殺されるよりはマシだと思え、という命令となりうるし、財布を取られたという事実をなかったかのように取り扱っている。財布を取られた当人は、財布を取られたばかりか、それを嘆き憤る権利すら奪い取られ、「命までとられなくてよかった!」と聞き分けよく振る舞うことを強いられている。ここで命令となりうるとか強いられているとか言うと大げさであるように受け取られかねないが、仮に「命まで取られなくてよかったじゃないか」と声をかけられて、「なにがいいものか!こっちは財布を取られてるんだぞ!」と激昂したとしたらどうだろうか。慰めの言葉をはねつけるひねくれ者という印象を抱かないだろうか。つまり良識ある大人として振る舞おうと思うならば、ここではその慰めを受け取るしかない。そしてここでその慰めを受けるとはすなわち泣き寝入りである。つまりここでは慰めの言葉は抑圧以外の何者でもない。「命まで取られなくてよかった」などという言説は、当人がおのずからそう思ったときにのみ、慰めになりうるのであって、人から押し付けられる限りそれは暴力である。同様に、「これよりも苦しいことはいくらでもある」と考えて気が楽になる、というのであればそう思って気を楽にするのは当然自由であるが、「それよりも苦しいことはいくらでもある」「あなたよりも私のほうが苦しい」と言うことは端的に言ってナンセンスである。苦しみとはそのような性質のものではないからである。
  第三に、生きていられるからこそ生まれる苦しみというものが存在するし、生存がままならない苦しみが実存の苦しみよりも優っていると言うことを無根拠に前提している点である。そしてこれは第一の点で挙げたように無意味な対立である。まったく種類の異なる苦しみを対比することは適切ではない。
 自分自身の苦しみを苦しむことに誰の許可もいらないし。自分の苦しみを卑下する必要もない。そして人の苦しみを貶める権利は誰にもないし、苦しみは比べられるような性質のものではない。そして他人の苦しみに口出しをするべきではないし、値付けできるようなものでは決してないと信じる。