アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

 昨日同期と飲みに行った。普段同年代の若者と話すこと自体少ないので、楽しかった。一緒に働いているわけでもなく、それぞれ微妙に形態や業務内容が異なるところで働いているため、飲みに行っても仕事の延長という気がしなくてのびのびできた。10人弱で飲みに行ったが、そういう場合はチェーンの居酒屋を選ぶ。場の空気を読んだり話題を選ばなくても良い気安さが必要なのと、話したり騒いだりしたいだけで料理の味や店の雰囲気などはどうでもよくてなるべく値段が安い方がいいのと、個人経営の店に入ったら意外と狭くてなんとなく気まずい感じになったり、店員や別の席の客などが介入してきたりするのが嫌だからだ。

 色々なことを思った。まず僕らのほとんどは普段仕事の話を自分の視点から話せる機会を持っていなかった。上司や先輩などから、仕事について教えてもらう、あるいは相手の仕事観や進め方やコツなんかを拝聴することしかなくて、自分が日々仕事する上で感じていることや考えていること、違和感、しんどさや工夫していること、自分たちの現在地について、ほとんど語る場所を持っていなかった。そういう状況に置かれた僕たちは、自分の現在を話したくてしょうがなくて、集まった当初の、相手の話を聞いているようで聞いていなくて、互いに自分の話に掏り替えあっていくさまはちょっとひどいものだったけど、それでも僕は意味で会話ができることに久しぶりの安心感を覚えていた。介護の現場では、視線や注意、身振り手振りなどの身体の動きや掛け声や真似といったものがとても大きな意味を持つ。一方で、言葉の意味に頼って介護を進めようと思ってもうまく進まない。「立ってください」と言っても立ってくれないが、両足をしっかり床につけて軽く背中を押して前傾姿勢をとってもらい、少しだけ腰に斜め上方向への力を加えてあげるとすんなりと立ってもらえたりする。シリーズケアをひらくの『介護するからだ』という本にそういう例がいっぱい載っていて、仕事を始める前に買ったけど読んでいなかったのを、いま読んでみたら身に覚えがあること、面白いことがいっぱい書いてあった。二つの相互作用とか、場所の記憶や動作の記憶、身体知のようなもの、そういうことに関心を持ちながら仕事をしていると色々な発見があって面白い一方で、言葉や意味といったものがあまり力を持たない世界の中でふと無力感や徒労感を感じてしまう時もある。

 

 書くことが一向にまとまらないので終わる。分刻みのスケジュールや効率という言葉、生きることの生理的ニーズ以外の面に対するケア、喪失感や病気に対する向き合い方、選択にまつわる難しさなどがいま考えたいことかもしれない。自己決定権とは何か、選択が不可能な主体の場合はどうなのか、あるいは、当人の選択が不適切に思えるとき、どうするべきなのか。どの程度の選択の幅を与えるべきなのか。相手の意向を尊重しつつこちらの業務を滞りなく行うことはできるのか。合意形成とはどのように行われるのか。またその合意はどこから判断できるのか。難しいことはいっぱいある。こちらが無条件に「良いことをしている」と思い上がってしまい目を曇らせることだけはしたくない。