アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

だまらない

 ツイッターをやったりブログを書いたりすることが少なくなってきている。働いている平日は食べて休んで睡眠時間を確保するのに精一杯で、あんまり熱心に遊んだり本を読んだりできないということもあるし、今は実家暮らしで、家には話ができる家族がいるために、その日に言いたくなったことをその日のうちに言うことができるというのもある。タバコを買うときにコンビニの店員さんに番号を言う意外にまったく口を開かなかった一日がないと、なかなかインターネットにそこそこの分量の文章を垂れ流そうという気にならない。

 とはいえ、いかに近しい人であろうと親しい人であろうと、ひとりの人に話せることがらには限界がある。なんとなく、この人には言えないとまでは言わなくても、この人に話すことではないか、という気になることがあるし、それに一緒にいる相手や人数によって話題とか話す内容のトーンが左右されたりもして、ひとりよがりにひたすらくだを巻くことができることはそうそうない。

 黙っているとすぐに忘れる。黙っていると徐々に平気になってくる。話す相手が見つからない話題に疎くなってくる。それはなんだか勿体ないというか、環境に左右されすぎじゃないかと思う。中高生の頃、クラスの誰もが知らない音楽を聴いたり漫画を読んだりしながら、そういう自分の好きなものとか興味のある話題について、なんでもたのしく話すことができる相手ができることを夢見ていた。というかどこかでそんな人に出会える予感を信じていた。だから誰にも言えなくても平気だったし、誰にも言えなくても心底好きだった。その頃の気持ちをちょっと思い出したい。話す相手のいない話題とか、宛先のない感情、言語化されない願いを、それらをなんとも思わずにじっと温め続ける気概のようなものを、持ち続けていたいなあとも思う。

 とはいえ当時のひとりきりで聴いていた音楽、観た映画、読んだ本や漫画は、いつかのどこかに繋がっていると信じていたし、省みるとやはりどこかや誰かに繋がっていた。好きな音楽を通じて仲良くなったり、古い漫画の話で盛り上がったりする機会は大学生活中に何度もあったし、卒業してからもあった。この前もバイト先の用務員さんと花の二十四年組の話で盛り上がって仲良くなった。

 これからする仕事には関係がないなと思った瞬間にちょっと熱が冷めるような感覚があったけれど、考えてみれば僕のこれからの仕事は人が生きることというか生活することを助けることで、僕にとっての生きることや生活することの中に本とか音楽とかが奥深く食い込んでいるように、誰かにとってもそうであるかもしれない。とすると無関係でもないのかもしれない。

 

 黙っていると忘れてしまう。言葉は使わないと忘れてしまう。遠ざければ遠ざかってしまうものだから、たまにはこうやって抱き寄せなければいけないなと思う。最近Apple Musicを使い始めて、今まで以上に音楽を聴くように探すようになっているから、近々いま好きな音楽について書き留めておきたい。細野さんとかライ・クーダーとかドクター・ジョンとかのごった煮音楽も楽しいし、ドレスコーズの『平凡』はすごいアルバムだし、anonymous 4という中世の音楽を歌うグループとか百人一首の読み上げ音声とかもあっておもしろい。あとは吉野朔実の漫画をよく読んでいる。繊細な人がふと嗅ぎ取ってしまう暴力だとか力関係とか、それ自体暴力に転化しうるような危うい潔癖とか、そういうものが描かれている瞬間にドキッとする。それと川口晴美の詩集『やわらかい檻』と、浦歌無子の詩集を何冊か買った。今日届いたので今から読みます。