アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

 大森静佳の『カミーユ』を買った。少しずつ読んで、あまりの良さにくらくらして、これは体調がいい時に、十全に味わいつくせる状態で余すところなく読みたいと思っていて、なかなか進まない。タイトルになっているカミーユという名前には、二人の女性の影がこびりついている。クロード・モネの妻、その死の床の姿を描かれた作品で美術史にも名を残しているカミーユ・モネと、ロダンの愛弟子であり、文筆家のポール・クローデルの姉であり、自身も彫刻家であったカミーユ・クローデル

 この歌集はあまり読み進めることができていないのに、その芳香に誘われるままにアンヌ・デルペの『カミーユ・クローデル』を買ってしまった。500ページ以上ある分厚い本で、読み切れるだろうか。僕は長い本を読みきったことがない。表紙のカミーユ・クローデルの憂いを帯びた眼差しに捉えられてつい買ってしまった。
 彫刻のことも、彫刻家のこともよく知らないけれど、彫刻家というものは、手や石や粘土で考えているのだろうか。世界の手触りを、どれだけ知っているのだろうか。彫刻というのは、それを手渡すということなのだろうか。よくわからない。冬になるとよく聴くブランキーの”二人の旅”という曲の一節、「お前が俺のすべてだと 手触りで言ってみせるよ」というフレーズを何となく思い出す。
 大森静佳の『カミーユ』もアンヌ・デルペの『カミーユ・クローデル』も印象的な装丁というか強烈な存在感を放っていて、手元にないときでもついその本のことを考えてしまう。そういう気分は自分の興味の範囲がこれまでと少しずれ出す兆候なのでこれからどうなっていくのか楽しみだ。
 
 この前旅行をして、泊まるはずだったホテルが火事になって鳥羽の旅館に振り替えになった。そのフロントに置いてあったチラシのうちの一つ、マコンデ美術館の木彫りの彫刻の造形がダイナミックにデフォルメされていて面白くて、見てみたいと思った。マコンデというのは高原の名前で、タンザニアにあるそうだ。そこでは食べ物も豊かで、飢餓もなく、農作業のない時期には彫刻を彫ったりして暮らしていたらしい。20世紀になって、自分たちが作る彫刻が西洋諸国等に良い値で売れるということで、マコンデでは彫刻がよく作られるようになり、独自の深化を遂げた。黒檀の一木造りの彫刻で、出来上がりの形は、木を見て、その木目やうろの形を吟味して、木の声を聞きながら決めるらしい。だから片手が妙に大きくせり出していることもあれば、鼻がバカにでかかったり、足が不自然に折り曲げられたりしている。そういう風に、対象を思い通りの形に作り変えるのではなくて、そこにあるものにじっと取り組んで、それにふさわしい形を与えてやるという作業は、さぞかし楽しいだろうと思った。僕が彫刻家になるならそういうスタイルで作りたい。僕の両の手は全部親指なので手を使った仕事はできないんだけど。
 
 タンザニアにはマコンデ彫刻の他にも、ティンガティンガ絵画という絵の一派が世界的に有名で、エナメルで描かれていて、てらてら光る躍動的な動物たちが評判らしい。その素朴さというのか、コミカルな感じ、ヘタウマ的なおおらかさが、好きな人は好き、ということなのだろうか、僕にはよくわからないが、この前家の近くをぶらぶらしていると、ティンガティンガ絵画専門のギャラリーを見つけた。こんなところで、またもやタンザニアと思って興味をそそられたが、不定休でその日は休みだった。
 
 手触りとかカミーユとかタンザニアのことをぼんやり考えながら、関連するものを見つけると素通りできない、という生活を続けている。この前はアフリカの石遊び、マンカラをやって楽しかった。手の中で小石が転がるときの感触やぶつかり合って立てる気味の良い音が好きだった。YouTubeでマリのブルース奏者の動画を見つけて格好良かった。それとは別に近頃はロシア文学小島信夫をよく読んでいる。チェーホフゴーゴリが好きで、特に今はゴーゴリを読むのにハマっている。ゴーゴリの、作家的な特徴、というのはまだあまり数を読んでいないのでわからないが、とにかく文章がおもしろい。ある対象を説明するときに突然露骨に文章量が多くなる、距離感のいびつな描写が読んでいて楽しい。筆が乗っている瞬間やその高揚感が読み手にわかる。まだ寒さの残るうちにロシア文学をもっと読んでおいたい。