アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

ルール違反

 放っておいたら社会生活に支障が出るほど真面目なので、高校生ぐらいから意識的に軽みをもたせようとしながら暮らしてきたのですが、気がついたらいつの間にかまた真面目になってきた。真面目というのか、自罰的というのか、卑屈というのか、それぞれが微妙に混じり合ったものではあると思うけど、僕なりの倫理観・道徳観に基づいて、誰かのことを嫌いになったり不快になったりする。

 誰かの行いや言動を目にして不快な思いをした時、その誰かのことを嫌だと思うけど、もしかすると相手の行いはそこまで悪いものではなくて、僕が勝手にイライラしているだけかもしれない。もしくは悪いには悪いけど、そんなに目くじら立てることではない、不快感は与えるかもしれないけど実際のところ誰に迷惑をかけているわけでもない、ということもある。自分の中のルール、正義と照らし合わせて許せないと思っても、それは独りよがりで、神経質すぎるのかもしれない。

 自分が身につけている公のルールを破った行動をしている人を見ると、罰してやりたいような、怒りの気持ちが湧いてくることがある。しかし、いくらルール違反を目の当たりにしたと言っても、それを罰する権利は自分にはない。たくさんの人がいる中で、日々の営みを円滑に行うために存在するのがルールなのだから、そのルールによってイライラしたり面倒ごとを起こしたりするのはなんだかおかしいと思う。歩きスマホをしている人にわざわざぶつかりにいく人がいるらしいけど、それはただの暴力であって、歩きスマホは危ないのでやめましょうという呼びかけは正しいが、歩きスマホをしているやつを見つけたら危ない目に遭うのだということを積極的に分からせてやりましょう、というルールがあるわけではない。

 ルール違反だから腹立たしいのか、正義を餌にして自分の不快感をいたずらに肥え太らせているのか、その見極めはしないといけないと思った。ルールは快適さのためにあるのだから、ルールによって不快感が倍増するようなことはおかしい。自分の中にもお節介な説教ジジイ、異分子を目ざとく見つける新興住宅地の意地悪オバサンが住んでいるということにもっと自覚的にならなければいけないと思う。

 かといって見て見ぬふりをし続けるというのももどかしいけど、どのみち罰する権利も腕力もないのだから、それは仕方がないのかもしれない。人がどうであれ、形骸化した綺麗事だとしても、自分は自分の信ずるところのものを守っていきたいと思いました。