アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

 とある山村に免許合宿に来てから一週間が経とうとしている。気づけばあっという間、なわけがなく、十年一日という言葉があるが一日が十日くらいの体感で、まだ半分にも達していないのかと思うと十字架を背負わされたような重苦しい気持ちになる。この苦役に終わりはあるのか…

 文化や良識のないパラレルワールドに迷い込んだみたいで、喫煙所では日々違法行為のいろはや思い出話が白昼堂々花開いている。自己紹介で前科の話になる。その様子を見るたびに頭の中の山田亮一が全国ツアーを始める。夜になると懐中電灯がなければ歩けなくなるほど何もないはずのこの町で、カルチャーショックというか異質な情報の多さに脳がはち切れそうで、毎晩カフェインレスのコーヒーを飲んで落ち着いてから頭を抱えて眠っている。

 徒歩圏内に本屋さんを見つけたが、ベストセラー小説や時代小説、週刊誌と文房具とワンピースしか売っておらず、わかってはいたものの少し落ち込んだ。この町で暮らす人々は、いったいどんなことを考え、日々何をして暮らしているのか。日本にはこういった町がまだまだたくさんあって、むしろこのような場所の方が多いのだと思うとクラクラする。文化とはいったい何なのか…

 少し話は飛躍するかもしれないが、正しさや理屈といったものが力を持たない場所や状況、集団がこの世には当たり前に存在する。同じ母語を使っているはずが、外国にいるような孤絶感がある。このような状況、自分が何を言っても伝わらない、あるいは何をしても何一つ変わらない、そういった状況下で植え付けられる無力感というのは、凄まじいものがある。こんな気持ちは中学生以来で、年を取っても同じような環境に置かれれば同じような気持ちになり同じようにぐったりするのだなということがわかった。

 ところで話が合わないというのはもちろん相手が悪いわけではなくて、僕が悪いわけでもない。正直に言うと僕はそういうときすぐに相手の頭が悪いんじゃないかと思ってしまうけど僕は自分のそういうところがすごく嫌だと思っている。どちらが悪いかを多数決で決めるとすれば確実に僕が悪いということになるので、どちらも悪くないということにしておく。強いて言えば相性が悪いのだ。多様性というのはきっと相互理解の果てに達成するものではなくて、わかりあえないままで共存する、無理に関わろうとしないということが大切なのではないでしょうか。

 というわけで僕は無理をせずに、飲酒運転で捕まっていたおっちゃん、元風俗狂いの宿のおじいちゃんとぽつぽつ言葉を交わしながら、ひっそりと日々をやり過ごしているのでした。めでたしめでたし。