アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

引っ越し

 引っ越しの日が近づいてきて、そのための準備もあらかた終わった。荷物はもう運んだし、不用品の処分も今日済ませた。あとは細々したものを回収日が来たらゴミに出すだけ。ここ半月くらい、少しずつそうやって引っ越しの準備を進めていたんだけど、住み慣れて自分の身体の延長のような感覚すらしていた部屋からだんだん馴染みの品々が消えていって、日に日によそよそしくなっていくのは奇妙な気分だった。

 

 今日、不要品回収業者さんに扇風機も持っていてもらったので、エアコンのない、暑くて何もない部屋で時間を持て余していた。フィッシュマンズの"ゆらめき IN THE AIR"を聴いたり、ポール・オースターの『最後の物たちの国で』や絲山秋子の『海の仙人』をぺらぺらめくったりしていた。窓を開け放したがらんどうの部屋は心なしかいつもよりも風通しが良い気がして、しなければいけないことがひと段落したことも相まって心がとてもスースーした。

 

 時間を持て余しまくっているとたいていは過去のことを思い出したり、先のことを考えて不安になったりするけれど、今日はぼーっとするばかりでなぜかそういうことは思い浮かばなかった。四年半も同じところに住んでいたから、いろいろなことを思い出して切なくなったりするかなと思っていたけど、頭がぼんやりするばかりであんまり寂しさは湧いてこない。

 

 僕が住んでいるところは学校からも遠くて、住んでなかったらまず来ないだろうと思う。引っ越したらもう来ることはあんまりないと思うし、次に来るときには潰れていそうなお店も多い。四年半も暮らしていた部屋に来週からはもう入れなくなると思うと少しこみ上げるものがあるけど、いまいち実感がわかない。

 

 さっきビールを買いに外に出たら夕焼けがとても綺麗だった。マジックアワーというのか、青みが強くて少し幻想的な色合いだった。

 

 なんていうか、自分ひとりの町じゃないという気がする。自分が住んでいる町がそのまま「僕の住む町」になるわけではない。出て行くのがあんまりつらくないのは、四月から時間をかけてひとりになっていったからというか、もうすでにこの町が、京都が自分の町ではなくなっているからかなと思う。寂しいという感情は誰かの気配がなければ生じない。