アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

から回るがんばる

 いつからか、省エネを心がけるようになっていた。電力やガスや水のことではなくて、自分の体力や気力の話だ。もともとひどい運動音痴で、自身の身と心を守るために体育の気配のするところを徹底的に避け続けてきたために体力がなく、いわゆる根性もない。今そのツケが回ってきているわけだけど、それでも当時の判断は間違っていなかったと確信できる。あの時は、そういうものからどうしても逃げなければきっと今まで生き延びては来れなかった。これは決して大げさな話ではないと今でも思う。当時の自分を取り巻く環境や、自身の認知の仕方やものの考え方を省みると、あの時もっとああしていたらなんてことは生まれ変わっても言えない。

 だけど僕は今では成人男性で、自分の身を自分で守る術というか、死なないための技術のようなものを、人並みには届かないにしても、多少は身につけはじめていると思う。そうなってくると、省エネ的な生活態度はもう用済みなんじゃないか。もともとは、ちょっと頑張るとすぐにへとへとに疲れはてて、そうすると視野も狭くなって暗いことばかり考えるようになって希死念慮が湧いていくるから、それを死に物狂いで避けてきたわけだけど、省エネ的な生活態度は、それはそれで消耗していく。自分を徐々に蝕んで、細く細くしていく。要は時間稼ぎでしかなくて、それを続けている限り物事が好転するということはないのだ。時間稼ぎは、もちろん時にはそれが必要であることもあるけど、長ければ長いほどいいというわけではなくて、適切な長さを超えてしまうとそれは消耗戦になる。

 

 大人になったら、もう身長は伸びないけれど、食べ物をたくさん食べたら体は大きくなるし、筋肉を限界まで酷使したらちょっとは増える。僕はまだまだ使い物にならないもやしっ子だけど、体力は作れるということが自分にとって現実味を帯びてきた。長い長い時間をかけて生活能力や人間関係という外堀を埋めて、それに対しての不満がなくなったいま、そろそろ根本的な問題の改善に向けて本腰を入れて取り組むべきだという気がしている。死なないための時間稼ぎから、生きていくための体力作りにシフトする時がきっと来たのだ。これまでとても長い時間がかかってきたように、これからの作業にもきっと長い時間がかかるだろう。地道に、誠実にコツコツとやれることを積み重ねていけば、いつかはきっと良くなる、報われるなんてことはまったく信じていないけど、信じていてもいなくても、とりあえずはそうするよりほかはないのだ。一日の労苦は一日にて足れり。依存症の治療でも、立派な目標を掲げるよりも、「いつまで続くかわからないけど今日一日はとりあえず耐える」ことに集中するのがいいと聞く。明日を思い煩うことなく、一日分の苦しみを、一日のうちに受け止める。しかるべき処置をして、ご飯を食べて、休む。そうしているうちに少しずつ体が大きくなっていけばいい。工場バイトでゲロを吐き、クラブに行けば熱を出し、サウナに入れば気絶する僕でしたが、今日は早朝からお昼にかけて重い物を運ぶバイトをしてきました。とはいえやることなすこと裏目に出て、まったくもってうまくいかなかったので反省しているというか落ち込んでいます。

 

 誰にでもできる、自分にはできないことにしがみつくよりも、それは誰かできる人に任せて、誰にでもできて自分にもできることをせっせとこなした方がまだマシだ。できないことをやろうとするのは頑張ることではなくて、つまらない意地は結果として挫折感や無力感を招いて自分にもとても辛いことだし、周りにも迷惑をかける。努力するということはたぶん、自分ができることを昨日よりも少し多めに、もしくは熱心にやるということなのだと思う。

 だからできることとできないことを見分けることができるようになりたい。今日はそれを見誤って残念なことになった。できないことに組みついたところでできるようにはならない。できるようにならないからできないことなのだ。これは僕にとっては意外な発見だったからしつこくなってしまうけど、できることを増やすためには、できることをしていくしかない。
 できることとできないことを瞬時に見分けることは、今の僕にとってはできないことだけど、それを自覚して振り返って、思えばあれはできないことだった、そしてできることはこれだった、としつこく反省することはできる。
 
 それにしても気力はいともたやすく減っていく。そして気力の養い方を僕はまだあんまりわかっていない。疲れに任せて、ひたすらベッドでゴロゴロしていても気力は一向に回復しないどころか、どんどん湿気ってしまう。一度火種が途絶えてしまうと、再び火を起こすためには途方もないエネルギーが要る。かといってずっと燃やし続けていたら気がつくとあたりには燃えそうなものがなくなってしまっている。そうしたら結局火は消えてしまうし、おまけに着火剤や燃料をどこからかかき集めてくることから始めなくちゃいけなくなる。ひどい時には燃えるものと燃えないものの区別がつかなくなったり、どこに行ったら燃えそうなものが拾えるのかをすっかり見失ってしまったりもする。そういう時はカーヴァーの小説でも読んで、寝ますね。