アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

23歳の夏休み

 23歳になったけど、毎日が夏休みです。5、6年前の、まだ高校生だった頃から、神聖かまってちゃんの23歳の夏休みを聴いていて、いつか23歳になった時にもこの曲を聴くのかなと当時から思っていたのですが、やっぱり聴きました。17、18歳の頃の僕には23歳の僕のことは全く想像できなかったのですが、ある面ではあの頃から別に何も変わっていないとも言えるし、ある面では予想もしなかったような変化を遂げました。三つ子の魂百までというか、自分のあり方は十代の頃からそんなに変わっていない、と言って憚らない大人がいますけど、僕はそんなことはないと思います。十代の頃と比べたら、と言ってもまだ四半世紀も生きてない若造ですが、頭の中身も生活実感も周りの環境も見えている世界も信じることもまるっきり変わっていて、十代の頃と何も変わらないとはちょっと言えないです。もちろん、十代の頃に夢中になったもの、たとえば往年のロックミュージックを聴いたりすると、今でも血湧き肉躍りますが、それは変わっていない証拠ではなくて、いくら変わったからといって過去の自分が消えるわけではないので(変化の途上で過去の否定が伴うこともありますが)、昔好きだったものは今も好きというのはあります。

 年齢を重ねて変わっていくと言っても、変幻自在にくるくる別人になり続けていくわけではなくて、内面が変化していくというよりも、自分という枠組みの輪郭が変わっていくというか、意識のあり方、認識の仕方それ自体が変わっていくように思います。内面の変化もそれなりにありますが。僕はロックンロール原理主義者からだんだん懐疑主義者になりました。

 それにしても、僕は人生を語ることに憧れを持っていたのですが、いくつになっても人生論なんて語れるようにならなさそうだなと最近は思います。人生っていうのはな、と偉そうに断定的に持論をぶちまける風には、これからなれそうにありません。日々わからないことが増えていって、はっきりと言えないことばかりだということだけがはっきりとしてきました。そもそも人生という括りは雑すぎる。

 あと、第二次性徴期の頃も思っていたのですが、いつだって心よりも先に身体の方が歳をとりますね。身体の変化に引っ張られるようにして心は歳をとる、という感じがします。