アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

インターネットで考え中

まとまった情報、すっきり読みやすい記事よりも断片的なもの、垂れ流されたもの、電子の海をたゆたうささやかなきらめきや澱み、インターネットにはそういうものを期待したい。
脳に直接つながっているような、無防備な文章に出会ったとき、インターネットをやっていてよかったなあと思う。すらすら書けるとこまで書いて、続きはまた今度とか言って、二度と続きは書かない、予告編だけの映画みたいな、そういう気ままさに出会いたい。
本、雑誌、テレビ、ラジオ、いろんな媒体があって、インターネットはそれぞれのある部分の寄せ集めみたいなところもあって、だけどインターネットの特徴的なところは、出したあとでいくらでも書き直せることだと思っていて、とりあえず出す、肩肘張って作り込まない、何球か投げてたまたまストライクゾーンに入るものが混じってたらいいな、本来そういう気楽さが似合うメディアなんじゃないかと思う。言葉尻を捕まえて炎上させるようなことは、本当は似合わないんじゃないかと思う。考え中のことをしゃべりっぱなす。リンクを辿る。そうしていくうちにかすかな意味が重なっていく。そんな風な使い方ができたらいい。
これは単なる思いつきだけど、インターネットは、不特定多数とのコミュニケーションとは向かないんじゃないか。双方向的な、というか責任が生じるような、ほっとけない関係ってインターネットにはあんまり向いてないんじゃないだろうか。果てがないから。やっぱり匿名との相性がいいのでは。ひっそりとリンクでつながるくらいの距離感がいいんじゃないか。面と向かう代わりに、画面越しに殴りあうのはギスギスしててこわい。
思いがけないものどうしが細い糸で繋がっている、インターネットのそういうところが好きだ。ニュースを集めるためとか、商売道具とか、誰からも相手にされないトゲトゲした感情のはけ口とか、インターネットはそれだけじゃなくてもいいはずだよなと思う。きっとこれからも、インターネットは商売と結びついていくだろうけど、全然そうじゃない、手つかずの、雑草が生えっぱなしのインターネットも、細々と生き続いていってほしい。それを食べたい虫もいる。