アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

新聞の言葉、詩の言葉

就職活動に行き詰まって、悩んでた時にぶち当たって救われた本が穂村弘だった話。ちょっと前に書いて、なんとなく公開してなかったけど、なんとなく公開する。就職活動をしていてつらいのが、どこに行っても”コミュニケーション能力”が最低限求められることで、この時にコミュニケーションという語が指すのは、誰が相手でもとりあえず和やかな空気でなんとかやり過ごせる能力であったり、必要な情報を必要なだけさっと伝える能力のことで、僕が話す言葉や聞く言葉のほとんどがただの記号、情報伝達のツールとしての言葉ばかりになっていくのが嫌だったし気詰まりだった。そんな時に出会った本の話。と自分の話。

 

穂村弘の本を買った。『はじめての短歌』というタイトルで、本屋に入って他に欲しい本も漫画も売ってなかったから買った。そこには短歌についての言葉が、もちろん書かれているのだけど、同時に、僕たちが抱えるささやかな二重生活についてもたくさんたくさん、ページが割かれていた。「生きる」ことと「生き延びること」。その二つは正反対ではないし、しばしば重なり合ったりするけど、それでもやっぱり別のものだ。

生きることはきっと、いろいろな言い方ができると思うけど、感じることだと思う。僕は今まで生きることについては一生懸命だった。すごく真面目に生きることを生きてきた。今は就職活動で、生き延びることにピントを合わせて暮らさなきゃいけないんだけど、仕事とは違って、就職活動には始業も終業もない。オンとオフの境目がとても曖昧で、そのことが僕に「生きる」ことと「生き延びる」ことを混同させていた。もちろんこの二つを完全にマッチさせてしまうこと(仕事が生きがい)が社会的には理想の生き方なんだろうけど、僕にはちょっとそういう生き方はできない。生きることと生き延びることは、完全に別物ではないんだけど、二つの間には大きな価値観の隔たりがある。僕はもともと「生きる」重視型の思考体系をもっていたから、3月から急激に「生き延びる」ための考え方が流れ込んできて辛かった。時間の使い方、というか、時間に対する考え方をまず変えなきゃいけない気がした。つまり、説明会に行くとか、エントリーシートを書くとか、企業のことを調べるとか、就職活動に直結する行為をすればするほど有効な時間な使い方で、それ以外のこと、本を読んだり映画を見たり、友達と遊んだりスピッツを聴いたりする時間は、時間を無駄にしているようで、取り返しのつかないことをしているようで、何か悪いことをしているような気分になった。前者は生き延びることに有効で、後者は無効だからだ。そういう風に毎日を過ごしていくうちに、無意識のうちに生きること=生き延びることという慣れない考え方に引っ張られていって、毎日24時間慣れないことを続けているわけだから、当然疲れた。志望する企業を選ぶ時も、「生き延びる」ための働く行為を、「生きる」ことになるべく近づけようとしていたけど、たまには死にたくなるし、死にたい気分の時に社会的な義務感に無理やり「生きる」ことをさせられるのはすごくつらいことなんじゃないかと最近は思う。生きることと生き延びることは似ているけど別物だ、と思うようになってから気持ちがちょっと楽になった。生き延びるための活動、と割り切ってしまえば、なんとかなりそうな気がする。新聞の言葉と詩の言葉、両方使い分けられるようになろう。詩しか書けない大人はいない。