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アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

舞城王太郎『ビッチマグネット』物語についての物語

舞城王太郎の『ビッチマグネット』は、物語についての物語であると思う。物語とは何か、物語に何ができるか、というテーマについて、真面目に考え抜いて書かれた作品だと思う。
そうは言っても難しい内容なわけではなく、思春期から大人へと変わっていく一人の女性を主人公としたストーリーで、浮気やら精神分析やらビッチやら、現代的なエッセンスがそこかしこに散りばめられていて、単純に読み通すだけなら半日もあれば事足りるだろう。だけど、良い小説はみんなそうだけれど、読みながらあれこれいろいろ考え込んでしまう。いろいろなことを考えたくなる。この小説には、そんなついつい考え込んでしまいたくなるようなテーマが山ほど詰め込まれている。「真面目とは何か、ビッチとは何か」、「自分というものはどこにあるのか」「正しさで人を変えられるか」「ある性質の人を引き寄せやすい性格というものはあるのか」「きちんと誰かと向き合うとはどういうことか」「罪の意識はどこから来るのか」などなどエトセトラエトセトラ。
文庫本の裏にネオ青春小説と書いてあるけれど、思春期の後半の頭の中のごちゃごちゃをそのまま詰め込んだような、エネルギーと魅力あふれた群青色の良い小説だった。
その中で、この小説の初めから終わりまでずーっと主人公が考えていることの一つに、物語というものがある。彼女は一度漫画家を目指そうとして、物語を作れずに挫折している。だから物語に対して人並み外れた関心があって、物語に対してあれこれ思いを巡らし続ける。物語というのはどういうものか、物語を作るとは、物語に何ができるか…そろそろ「物語」という文字にゲシュタルト崩壊を起こしそうになってきたけれど、とにかくこの小説は物語についての物語であると思う。
 
それでは、その物語とはどんなものなのだろうか。これにはいろんな人がいろんなことを言っていて、どれが正しいとかどれが間違っているとかスパッと言い切ってしまうことはできないけれど、ここではその学説のあまりのダイナミックさに、吉本隆明に”チンピラ人類学者”とあだ名された山口昌男物語論(のようなもの?)を引用してみる。
 
 (前略)話を素戔嗚=日本武尊のレヴェルに戻すならば、この二人の役割は、王権が混沌と無秩序に直面する媒体であったといえる。従って王が中心の秩序を固めることによって、潜在的に、そうした秩序から排除されることによって形成される混沌を生み出して行くように、王子の役割は、周縁において混沌と直面する技術を開発することによって、混沌を秩序に媒介するというところにある。(中略)律令制のもとに完成された位階制の秩序の中で、常人の政治的世界における運動が昇進という名にことよせた求心運動であったのに対し、王子の運動が、神話論的に遠心的な方向、中心からの離脱によって、王国の精神的な境域を拡大する方に向いていたということは、光源氏の物語の主人公としての境遇の中にも反映されている。
山口昌男『知の遠近法』
ここでは物語とは、中心から周縁へと向かい、周縁を何らかの形で消化して再び中心に戻ってくる、という遠心活動だとされている。そして物語の目的とは、中心からの離脱によって、中心の精神的な境域を拡大することである。これを今舞城王太郎の『ビッチマグネット』に当てはめてみると、中心とは一人称視点の語り手でもある主人公で、周縁とは主人公のトラウマや恋愛、人間関係のゴタゴタなどである。自分のことにかかりっきりだった主人公が、いろんなゴタゴタに首を突っ込んだり突っ込まなかったり、自然と当事者になっていたりしているうちに、次第に視界が広がって、澄み切ったものへとなっていく、大まかに言ってしまえば、これがこの物語の構造だ。そう言ってしまうとあんまりにもシンプルな青春小説、となってしまいそうだけれど、この小説の主人公の、物語への考え方は少しユニークで、面白い。
この小説は主人公が高校生の時点から始まるのだが、大学生になって心理学系の学部に進学した主人公が、トラウマと物語との関係について、次のように言っている。

 

 

 思うに、自分の内なるトラウマを発見することが自分を苦しみから解き放つ…というのはその構造自体が物語で、それを信じている自分とはその物語の登場人物なのだ。だからその語り口にリアリティがあり、それを信じさえすれば、主人公は文脈を阻害されないままある意味予定された通りの、願っている通りのエンディングへと辿り着く。物語としての治療法を読者としての患者が信じれば、物語は読者を取り込み、癒すだろう。

 

 物語というのはそういうふうに人間に働きかけることもあるのだ。
 物理とか科学とか数学とかの分野について私はよく判ってないけど、あらゆる<説>や<概念>が物語でないとも限らないのだ。
 物語を信じることで社会も人生も成り立っているなら、あはは、なんとも呪術的な世界じゃない?
舞城王太郎『ビッチマグネット』

 

 

 僕は今の社会に生まれて、今の社会でしか生きたことがない、というかまだ社会というものをよく知らないけれど、この社会はたくさんの物語であふれている。テレビをつけても本を読んでも映画館に行っても、何らかの物語がそこでは進んでいる。そして誰でも、そのたくさんの物語の中に、幾つかのお気に入りの物語を、信じていたいと思う物語を持っているものではないだろうか。そしてその幾つかの物語を信じながら、自分の人生という大きな一つの物語を作っていく、という主人公の人生への捉え方に、僕は感動した。それってすごく面白いんじゃないかと思う。

大きな物語の中に、無数の小さな物語がある、という話で言えば、『源氏物語』や、ゴダールの映画『フォーエバー・モーツァルト』なんかもそれで、僕はこれからも小さな物語をたくさん集めて自分の大きな物語を作っていけたら、と思う。