アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

元町夏央『熱病加速装置』を読んで思ったことやあまり関係のないあれこれ

法や秩序に従って生きることは、精神の睡眠だという人がある。しかし、すべてを疑って倦怠の内ににいることは、精神の不眠症であると思う。すべては思いの力一つというか、気の持ちようによってどうとでも見た目が変わるけれど、何でもかんでも底抜けに明るく、失敗すらも成功の母だとか、成長のチャンスだ楽しもうとか言って闇雲に全肯定してしまう人たちに違和感を感じつつも、いつも難しい顔をして口の中でブツブツと愚痴めいた批判をつぶやく風にもなりたくない。センチメンタルがいつか僕の身を滅ぼすのかもしれないけれど、退屈は人を殺すだろうという予感がある。数字だけを生きる意味にはしたくないが、お金は数字で表せる。何事もほどほどが大事だとこの頃よく感じる。

何事もほどほどが大事だ。大事だけれども、そんな風にして過ごす生活は少し頼りなくて、さみしく感じているのも本当だ。
大人になるということは、自分とうまく折り合いをつけることだと思っていた。それはつまり夢ばかり見ていないで、生活をするということなんだと。それで夢見がちな僕は世知辛いなあと落ち込み気味な毎日を過ごしていたのだけどちょっと違うんじゃないかと感じ始めている。夢は夢のまま、幻とも今までに付いた傷とも上手になるべく楽しく気楽につきあっていくしかないんじゃないかと思う。
「芝居がスキ。一瞬の、いのちのスパークに触れられるから。」林あまりという女流歌人が、『MARS⭐︎ANGEL』という処女歌集のあとがきでそう書いている。わたしにとって短歌を作ることも同じようなことだ、と続けている。彼女の作る歌はこの言葉の通りにむき出しで、刹那的で、性的な感情や情景が多く詠み込まれている。そんな「いのちのスパーク」が、人にはきっと必要なのだろうと思う。その言い方ではわかりにくいかもしれないが、ドラマチックな瞬間が、生きててよかったと思える景色が、確かな手触りが必要なのだと思う。非日常と言ってもいいかもしれない。同じものばかりが瞳に映っていると、どうしても色褪せてしまうものだから。昔の人もよくよく言っていたけれど、時間は本当におそろしい。なんでも変えてしまう。この瞬間がいつまでも続いたらいいのにって、これまで何度も願ったことがあるけれど、その瞬間がいつまでも続いたためしはない。そして僕たちはいつだって思いがけない。心の底に隠していた気持ちが、積もり積もってある時変なところから噴き出して止まらなくなったりする。だからガス抜きとしての非日常が、生きることをあきらめてしまわないようにするための素敵な夢が、浮かされてしまう熱病が、きっと必要なんだと思う。元町夏央という漫画家の、『熱病加速装置』という短編を読んでなんだかこんな風に熱っぽいうわごとを書いてしまった。その中でヒロインが言う、「人のさ、ギリギリの瞬間って、素敵だよね」。とても素敵な短編だった。
 はかなくて木にも草にもいはれぬは心の底の思ひなりけり/香川景樹