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太宰治『富嶽百景』 ぼくのかんがえるさいきょうの作家

 

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作家と作品の関係は、しばしば論争の対象となる。作品と作家の私生活とは関係がないという人もいるが、批評では作品と作家の生い立ち、環境、日記などを照らし合わせて作品を分析する、という方法がよく行われている。
 
中でもとりわけ作品が、作者の生活や人生と結びつけられて語られやすい作家に、太宰治がいる。彼の最後は心中自殺であり、遺作のタイトルは「グッドバイ」である。そのせいで彼はしばしば、まるで死ぬために生まれてきたかのような扱い方を受けている。「人間失格」が、彼そのもののように読まれている。それが良いか悪いか、僕にはわからないが、僕は昔から太宰治が大好きで、彼の作品はほとんど読んだ。「うじうじした暗いやつ」という世間一般のイメージ通りの初期や晩年のものよりも、結婚して精神的な調子も良い時期に書かれた、中期のものが好きである。
 
彼は決して、死ぬために生まれてきたのではない。苦しむのが好きであったことは否定しきれないが、苦しむために小説を書いていたのではない。彼は『一日の労苦』という作品の中で、「作家はロマンスを書くべきである。」と書いている。彼は、文学によって、ままならぬ生活の中に一輪の文化の華を咲かせようとしていたのだ。
 
彼の作品の中で、僕が特に好きなのは、『富嶽百景』である。
生きることと、考えることと、書くこととが一致している。彼の生活が、生きるじたばたが、彼の見た夢が、そのまま文学になっている。
 

日記かと見まごうほどにあけすけに、金銭的な事情やら、心境やら、彼が見たもの、感じたことなどが、素直な言葉で綴られている。太宰治の生活と、思考と、文学が、富士の山を通して境界が曖昧になっていく。日々の実感と、浪漫チックな理想と、彼の文字を書くための右手とが、「富士には、月見草がよく似合う。」という一文に結晶している。僕はそれをとても美しいと思う。『富嶽百景』は僕がこの世で一番好きな小説だ。

 

走れメロス (新潮文庫)

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