アワー・ミュージック

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本谷有希子『生きてるだけで、愛。』 純文学は今どこにあるのか。

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文学とは、生きることだ。純文学とは、その国で、その時代で、その人が生きていくための言葉なのだ。生きとし生けるものの、よろこびだ。生まれ出づるものへの手紙だ。

 
朝、目が覚めて、静かな気持ちで君を想うということ。さみしさや、焦燥感にやられて、騒がしい夜の街へ出かけて、わけもわからず踊ること。きっと幸せなはずなのに、なぜだか泣きたい気持ちになること。人と人とはわかりあえない、と信じたくないこと。
 
人が感じて、人が考えて、人が吐き出した言葉は、すべて文学になり得るはずだ。どんなにくだらなくても、眠れない夜を過ごして、朝に起きられないってことでも。喜びも悲しみもさみしさもためらいも、きっと無駄なんかじゃないって、生きているだけで、愛だって。そう叫んでいるこの小説は、たとえ眉をひそめたくなるような言葉遣いであっても、紛れもなく二十一世紀の日本の純文学だ。

 

生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)

生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)