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『論理哲学論考』に関する覚書き

 ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考(以下、『論考』と略記する)』を読んでいる。初めからじっと読んでいってもあまりしっくりこない。全体との関係においてそれぞれの命題が意味を持つものであるので、読み進めてみて初めて意味がわかるという箇所が多い。とりあえず初めから終わりまで目を通してみて、どのようなことが書かれているかをざっと把握し、もう一度はじめから読んでみて、書いてあることに対する解像度を徐々に上げていく、という読み方でしか読めない本であると感じる。
 『論考』が何についての話をしているのか、を理解するためには、普通の本でもそうであるが、序文をしっかり読むことがその助けになる。先取りして言ってしまえば、『論考』の目的は哲学的な諸問題の根本的な解決である。論考の序文にはこうある。

 本書は哲学の諸問題を扱っており、そして──私の信ずるところでは──それらの問題が我々の言語の論理に対する誤解から生じていることを示している。本書が全体として持つ意義は、おおむね次のように要約されよう。およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、ひとは沈黙せねばならない。
L・ウィトゲンシュタイン著、野矢茂樹訳『論理哲学論考岩波文庫

 


 また序文の終わりの方で、「問題はその本質において最終的に解決されたと考えている」と表明している。つまり哲学の諸問題について、それらの問題が言語に対する誤解によって生じており、その誤解を問いたならば、その諸問題はもはや問題ではなくなる(=解決される)ということを言っているのである。それは、どのような手続きによるのか。

かくして、本書は思考に対して限界を引く。いや、むしろ、思考に対してではなく、思考されたことに対してと言うべきだろう。というのも、思考に限界を引くには、我々はその限界の両側を思考できねばならない(それゆえ思考不可能なことを思考できるのでなければならない)からである。
 したがって限界は言語においてのみ引かれうる。そして限界の向こう側は、ただナンセンスなのである。

同書

 


 ここで言う哲学の諸問題を解決するとは、それらの諸問題が根本的にナンセンスであることを示すこと、言い換えれば、それらが語り得ぬことについて語ることを要請する問いであること、我々の思考の限界を超えた答えられない問いであることを示すことである。我々の言語の限界を定めることによって、思考の限界を画定し、哲学の諸問題がその限界の向こう側に属するものであることを示すことで、それらの諸問題がナンセンスな問いであることを示す。そのことによって哲学的な諸問題を解決ないしは解消させるのが『論考』の目的であると思われる。
 言語の限界について述べるために、ウィトゲンシュタインは、まず世界とはどのようなものであるか、という記述から始める。上で述べた論理の流れだけを単純化して本文の中から該当箇所を抜き出せば、次のようになる。

「1 世界は成立していることがらの総体である
 1.1 世界は事実の総体であり、ものの総体ではない。」

「2 成立していることがら、すなわち事実とは、諸事態の成立である。」

「4.023 命題とは事態の記述にほかならない。」

「5.6 私の言語の限界が、私の世界の限界を意味する」

 世界とは事実の総体であり、事実とは、成立した事態のことであり、命題とは、事態の記述である。事実は事態の成立したもの、つまり事態の一部であり、事実の総体が世界である。つまり世界は成立した事態の総体である。そして事態を記述したものが命題である。つまり成立した事態の総体とは、真である命題の総体である。つまり真である命題の総体が世界である。よって、言語の限界(=命題として意味を持つもの)が私の世界の限界となる。
 そして、命題の性質を明らかにし、さらに命題の一般形式、つまりあらゆる命題を作ることができる形を見定めることによって、すべての命題が記述されうる。そしてまた、それらの命題が意味するところのものが示されうる。そのようにして言語の限界=思考の限界=私の世界の限界を画定することができ、それによって哲学の諸問題がその外側にあることを示せば、それらの諸問題は解決される。
 命題についての議論や、なぜ哲学の諸問題がそれらの外側にあるといえるのか、事実や事態などのウィトゲンシュタインに特有の語の用法などについては複雑な話になるため、個人的な忘備録である本記事では詳述しない。

ウィトゲンシュタイン『青色本』を読もうとする・1

・なぜ青色本を読むか

 近頃ウィトゲンシュタインを読んでいる。ウィトゲンシュタインは哲学者だが、彼の哲学は一風変わっている。哲学書というのは一般に、ドイツ観念論などに顕著だが、その思想的な背景や前後の歴史を踏まえていなければわからないことが多い。難解な専門用語や日常言語とは意味の異なった用法が飛び交い、同じ哲学用語でも人が違えば解釈が微妙に違っていたりする。つまり哲学書を読むためには広く深い前提知識と、文脈に合わせた適用が必要になる。一方で、ウィトゲンシュタインは自身の哲学を治療であるという風に考えていたらしく、多くの人々を困惑させてきた難解な問いの数々を、その問いの問われ方に着目することで、問いを鮮やかに解決ないしは解消させてきた。このスタンス自体は初期から後期まで一貫しているように思える。ウィトゲンシュタインを読むと、どのように取り組めばよいのか皆目わからない問いに対して、ここから手をつければよいという取っ掛かりを得ることができる。問いの立て方を検証し、様々な角度から眺め回してつっついているうちに、問いそれ自体が知恵の輪のようにほどけていく。中期以降のウィトゲンシュタインの哲学は、読み手に体系的な知識や思想を与えるような性質のものではなく、どのように問いに取り組むか、いかに哲学をするか、というその方法についてのヒントを与えてくれる。様々な場合にそのまま使えるマニュアル本というわけでは勿論ないが、実際にどのように考えていくか、それは自分でじっくり考えるべきことなのだ。

 

青色本の位置づけ

 青色本は1933年から1934年にかけてケンブリッジで行われたウィトゲンシュタインの講義を記録したノートである。そのコピーが広く読まれ、青色の表紙がつけられていたことから一般に『青色本』と呼ばれている。

 ウィトゲンシュタインの活動は大きく初期・中期・後期の3つに分けられることが多く、初期が生前唯一出版された哲学書である『論理哲学論考』期を指し、死後出版された後期ウィトゲンシュタインの主著『哲学探究』を執筆し始める1936年以降が後期、その中間が中期であるとされている。『論理哲学論考』を書き終えたのち彼は哲学から身を引き、小学校の教員や修道院の庭師や建築物の設計などの仕事を経て、1929年に再び哲学に復帰するまで、前期と中期との間には数年間の空白がある。

 『青色本』の講義が行われたのはウィトゲンシュタインの思想が中期から後期へと移り変わっていく過渡期であり、のちに『哲学探究』に結実していく思想的アイデアの片鱗が各所に散りばめられている。

 

青色本を読みはじめる

 『青色本』は前述の通り講義録であるため、話が前後したり、いくつもの話題が入り組んでいたりするため、ときに読みにくいことがある。よっていくつかの段落ごとに区切って読み、その言わんとするところを慎重につかもうと努力してみることにする。一度通して読んでみたけれど途中で迷子になってしまった気がするので今回は、いまどのような問いが立てられているのか、何の話をしているのか、見失わないようにゆっくりゆっくり読んでいくつもりだ。また、僕は外国語ができないためちくま学芸文庫から出ている大森荘蔵訳のものを読んでいきます。以後特に断りがない場合、ページ数や引用などはちくま学芸文庫からのものです。僕って書くと途端にですます調になってしまいますね。

 

・語の意味とはなにか(p.7)

 語の意味とは何か。

 この問題に迫るためにはまず、語の意味の説明とは何であるか、語の説明とはどのようなものかを問うてみよう。

 こう問うことは、「長さはどうして測るのか」を問うことが「長さとは何か」という問題に役に立つのと同じ仕方で役立つ。

 『長さとは何か」「意味とは何か」「数1とは何か」等々、こういった問は我々に知的けいれんを起させる。それに答えて何かを指ざさねばならないのに、何も指ざすことができないと感じるのだ。(哲学的困惑の大きな源の一つ、名詞があればそれに対応する何かのものを見付けねばこまるという考えに迫られるのだ。) 

  「語の意味とは何か」。青色本はこの問いかけから始まる。そしてこの問いはこの本の通奏低音となっている。語の意味とは何か、という難しい問いに対して、ウィトゲンシュタインはまず問いをより考えやすい形にしようと試みている。ところで、「語の意味の説明とは何であるか」と、「語の説明とはどのようなものか」という二通りの問いは、同じものだろうか。縮めてみると、何であるかと、どのようなものか、は同じことを問いかけているのだろうか。僕には微妙に異なったものであると思える。一見よく似た問いであるけれども、その答え方は大きく変わってくる。

 何であるか、という問いに対しては、これであるという実物を差し出してやるのが最も簡単で確実である。勿論そのような直示定義であればどのような場合でも間違いなく伝えることができると考えるのは適切ではないが、たとえばみかんとは何であるかと尋ねられたらみかんを手渡して、実際に見て触って食べてもらうのが一番良いだろう。しかし、現実世界に対応するものが実在しない抽象概念等の場合、話は複雑になってくる。これといって指し示してやることができないのだから、言葉による定義が必要になってくるが、抽象概念を定義しようと思った場合、また別の抽象概念を持ち出さなければならず、しばしば循環定義に陥ってしまう。

 一方で、どのようなものか、という問いは、そのものの定義というよりもその性質やその語が使われる状況などを尋ねていると感じられる。このような問いであれば、みかんが手元になくとも、柑橘系の食べ物で、冬にこたつの中で食べるとおいしい、などと説明することができる。同じように、長さとは何か、を言葉で説明するのは難しいが、どうして長さを測るのか、と聞かれれば、長さによって距離や大きさや面積などについて、定量化が可能になり、異なる種類のものや遠く離れたもの同士での比較や、計算などの操作が便利になる、などと答えることができる。

 このように、「名詞があればそれに対応する何かのものを見付けねばこまるという考え」に囚われずに、何であるかという答えることのできない問いを、どのようなものかという答えやすい問いへと変形してみること、そのように問い直すことで、止まってしまった手をとにかくまた動かし始めることが可能になる。これがウィトゲンシュタインの治療のやり方の一つである。引用部分の「語の意味の説明」と「語の説明」を、今回ははっきりとは区別しなかったが、それは次回以降に持ち越しとする。前置きを書くので消耗してしまったので今回はここまで。

カラヴァッジォ展に行きました。

ぐずついた天気で濁った頭を抱えながら耳を塞いで、1時間近く電車を乗り継いだ果てにガラス張りのエレベーターに乗り込んだ。14階でチケットを買った。カラヴァッジォの絵を見に来た。

 


1600年前後から活躍を始めたカラヴァッジォの特徴としては何よりもまずスポットライトのような一点からの強い光で、それによって強烈に浮かび上がる造形の力強さ、迫力、生々しさは当時の人々に衝撃を与え、多くの追随者を生んだ。カラヴァッジォと聞いてまず浮かぶのが中期以降のくっきりとした明暗のコントラスト、ドラマチックな画面構成だが、初期の静物、特に果物や花々、を描くときの精細なタッチや明るくくっきりとした線の感触もぼくは好きで、今回来ていた《リュートを弾く若者》は凄く良かった。住み込みをしていたパトロンの館に居たカストラート(去勢された歌手)をモデルとしたとされる中性的な顔立ちの若者が、誘いかけるような目つきでこちらを見ている。その口は半開きになっていて、今まさに歌いだそうとしているようだ。そして画面の手前部分のこちらが手に取れそうな位置にヴァイオリンが置かれている。画面に克明に描かれている楽譜は当時実際に愛唱されていたラブソングのものらしく、私があなたを慕っているのは知っているでしょう、でも私があなたの為なら死ねるということは知らないでしょう、というような情熱的な歌詞だったらしい。澄ました顔で、静かだが確かな眼差しをこちらに向けている若者のこの絵は、この上なく甘美なムードが漂っていた。カストラートは20世紀の始めに教皇によって禁止されたが、最後のカストラートと呼ばれる人物の歌声は録音されて残っているらしい。

 


展覧会の構成としてはカラヴァッジォの初期の絵や影響を与えたとされる人物の絵画が控えめに展示されていて、その後カラヴァッジォの全盛期の絵画と、それをはるかに凌ぐ点数のカラヴァッジォの追随者たちの絵が並んでいる。それらを順を追って見ていくと、カラヴァッジォが編み出した強烈な明暗の対比がいかに人々の心を捉えたか、またそれ以降大した発展を見せずに新古典主義へとつながるような明るい画面にいかにして移り変わっていくか、ということが朧げながらわかるようになっている。また、当時の流行りのモチーフというのもなんとなくわかってくるのが面白い。女性の中ではユディトやサロメ、聖人の中では聖ヨハネや聖ヒエロニムスや聖セバスティアヌスが人気だったようだ。またダヴィデとゴリアテ、ユディトや聖ヨハネの生首など、斬首のシーンを描いたものが多く描かれているのが目についた。

 


聖書のラテン語訳を手がけたとされる聖ヒエロニムスを描いた絵画が数点展示されていて、カラヴァッジォのものと彼のフォロワーのものとがあったが、どう見てもカラヴァッジォのものが一番良かった。カラヴァッジォの描く聖ヒエロニムスからは高度な知性、精神性、静謐さが伝わってきた。突然だが電話がかかってきたので終わります。

 


iPhoneから送信。

わが草木とならん日に
たれかは知らむ敗亡の
歴史を墓に刻むべき。
われは飢ゑたりとこしへに
過失を人も許せかし。
過失を父も許せかし。

萩原朔太郎「父の墓に詣でて」

 私の生涯は過失であつた、と晩年の萩原朔太郎は書いている。また別の散文詩で「父と子共」の中で、次のようなくだりがある。

「不幸つて何? お父さん。」
「過失のことを言ふのだ。」
「過失つて何?」
「人間が、考へなしにしたすべてのこと。例へばそら、生れたこと、生きてること、食つてること、結婚したこと、生殖したこと。何もかも、皆過失なのだ。」
「考へてしたら好かつたの?」
「考へてしたつて、やつぱり同じ過失なのさ。」

萩原朔太郎「父と子供」(一部分) 

  晩年の朔太郎はこの過失ということや宿命という言葉を頻繁に使っている。彼の最後の散文詩集のタイトルは『宿命』であり、その中に過失というテーマが多く出てくる。捉えようによっては生涯は過失とその埋め合わせであるのかもしれず、しかしそう思えるのは俯瞰した場合、いわば簡単に考えた場合のような気もする。そのような大づかみの考え方というのは一見理知的でありながら多くのものを取りこぼしているものであって、そのこぼれていくものを丹念に拾い上げているのが僕の印象では滝口悠生だった。とはいえ滝口悠生の小説は地味というわけではなくそれどころかダイナミックなところも多分にある。まだあまり数を読んでいないので大したことは言えないが滝口悠生の嫌味のないしつこさ、本人の性向からくるというよりもしつこくしたくてしつこくしているような文章は面白い。逆に天性のしつこい文章を書く人ということで思い浮かぶのは室生犀星だ。室生はなんだか目の付け所がいやらしいというか僻みっぽいところがあってそれを包み隠さず執拗に書いていくところがあって、『我が愛する詩人の伝記』の釈迢空の章では彼の額にある痣のことに関して結構な長文を書いている。お洒落な彼が毎朝鏡を見るたびに痣をみとめてどんな気持ちになったことだろう、とか私に彼のような痣があったら痣に関する詩を書いて読者にいたたまれない気持ちを味あわせてみたかったとか、若い頃は周りがインクのようだと揶揄ったが彼が偉くなってからはそれが止んで却ってその深刻さが増したのではないか、とか、そういったことをくどくど書いている。その拘りようは尋常ではない。しかしそのこだわりということにこそ文章の面白さは出るのではないかと思う。こだわりのない文章はつまらない。どうしてこの人はそんなことにこんなにこだわっているのだろうと思わせるようなものは面白い。一概には言えないが傾向としてそう言えると思う。ここ1ヶ月くらいはずっと小島信夫の『私の作家遍歴』を読んでいて、小島信夫の引っ掛かり方、面白がり方がおもしろくて夢中で読んでいる。小島信夫がこれはこれと似ている、というとき両者がどう似ているのかよくわからないときが少なくない。よくわからないがそういわれると確かに何か通じる部分があるのかもしれないと思うがよくわからない。そういった微妙な響きを生み出すことにかけては小島信夫は天才で、その微妙な引っ掛かり、持続するかすかな響きがあるからこそ後のなんでもない描写が妙に感動的になったりもする。時にその興奮はずっと後の作品に持ち越されたりもする。小島信夫の晩年の作品は自身の過去の作品とかなり響きあうところがあるということになっているが、80年代以降の彼の作品のほとんどはそれが書かれた時点ですでに晩年の作品へ移るための何かしらが潜んでいる。

 鶏頭、鶏頭、俺はもう気が狂ひさうだ。という文章が北原白秋の歌集『桐の花』の中の散文「ふさぎの虫」に出てくる。これは白秋が人妻との姦通罪で拘置所にぶち込まれて世間的な評判も失墜してやぶれかぶれになっている頃に書かれた文章で、暑い夏の日に縁側で裸に近い格好で汗をかきながら、己の身の上を嘆くといった内容であるが、転んでもただでは起きぬところがあるというか、極端にナルシスティックなところのある白秋の手にかかってはそれは悔恨という言葉には収まりのつかない激しさがのたうつものになっている。暑くて長い夏の日に俺のような天才がなぜこんな目に、といったようなことをグダグダ考えながら庭に目をやると鶏頭のグロテスクなほどに真っ赤な花がいやに目につく。傍らには剃刀が置いてありそれが時折不気味な光を放ったり、赤錆びた顔を写したりする、というような調子だったと思う。剃刀は当然血を連想させたりもする。赤色がやけにぎらぎらしているのが読んでいて目につく。白秋の作品には時折顔を覗かせる暗闇のようなものがあって、それが妙に冷ややかな印象を与えたりする。

 こんなことを思い出すのはさっき商店街を歩いていたら花屋の店先に鶏頭の切り花が並んでいたからで、北原白秋はかつては国民詩人なんて担がれていたが、今の目で見るとどうしたって近代の詩人で、現代詩の人々からは軽視されている。しかし白秋がいなければ朔太郎もいなかったかもしれず、そうなると現代詩は今とはまるで違ったものになっていただろうと思われる。飯島耕一が著書『萩原朔太郎 I』の中で、白秋の立ち位置はブルトンらから見たアポリネールのようなものだ、と言っていて嬉しくなった。アポリネール自身は今振り返って特別新しいとか見るべきところのある存在だとみなされることは少ないが、アポリネール無くしてはシュルレアリスムは生まれなかった。

 また白秋の詩には、時期によって作風が変わるので一概には言えないが、『邪宗門』などの比較的初期の詩には色濃く高原英理の言うゴシック的なところがあり、それがいま読むと僕なんかには新鮮に思える。ゴシック的なところがあるのは白秋の下から出てきた大手拓次なんかもそうで、あとは日夏耿之介なんかもそういうところがある。当時の流行りの一つだったのかもしれない。これは関係あるかないかわからないがブルトンにも古城とか幽霊とかを好むゴシック趣味があった。

 

 最近本を買うとき梅田まで出てジュンク堂で買い物をすることが多いんだけど、でかすぎる本屋というのはあまり楽しくない。本屋は棚を隅から隅までじっくり眺めることができるくらいの大きさの方が楽しい。その店独自のフィルターというか、どうしてこの本が置いてあるのか、わかるような棚作りになっているとなお良い。そのような本屋が近くに一つでもあると、この本を読んだから次はこの本、というような興味がうまい具合に持続していく。そのような本屋がないと自前でそういうものを当たりをつけて見つけ出していかなければならないので、大変ということもないが、それがまた楽しみの一つでないこともないが、いい感じの本屋がフラッと寄れる近所にあればなあと思うこともある。そこに行けばちょうど今読みたかった本が見つかるといったような本屋があればいい。もっとも最近は小島信夫ばかり読んでいてそれが面白すぎて他のものはあまり読めない状態なので向こう2ヶ月くらいはひたすら小島信夫を読むだろう。

 Apple Musicは楽しい。最近は夏なのでディック・デイルとかキング・タビーとかを聴いているのとあとはマック・デマルコの『2』をヘビロテしている。マック・デマルコのギターのトーンに病みつきで、あのへろへろのチューニング、安いアンプから鳴っている感じのスカスカの浮ついているようなコーラスのエフェクト、良いけどどれも特別良いわけではない絶妙なソング・ライティング、どれを取っても素晴らしい。ヘタウマというのとも違う、これはこれで計算尽くという感を匂わせる、これが音楽の才能というものかと唸らされる、何回聴いても良いアルバムだと思う。

 ディック・デイルはやっぱり『Suffer's Choice』が良い。サーフロック特有のリバーブとか、シンプルなベースラインとか、雑な歪みのかけ方とか、どこかで聴いたことのあるようなフレーズが延々続いていくところとか、そういう上滑りしていくような、さざ波の列のような音像が心地よい。キング・タビーでのお気に入りは『In a Revival Dub』で、ダブと言ってもいろいろあるけど結局この一番の有名どころのキング・タビーが一番良い。とりあえずツマミをいじってみて自分が聴いていて一番気持ちが良いところを探っていくようなところがあってキング・タビーは好きだ。ダブは一人でお酒を飲むときによく聴く。アルコールが回っている状態でダブを聴いていると何もかもがどうでもよくなってくるので良い。

 

 今日は休みだったので梅田のでかい本屋さんに行って、小島信夫の『書簡文学論』と、ドストエフスキーの『貧しき人びと』を買ってきた。小島信夫の影響で手紙というものに興味が湧いていて、書簡体小説とかどんどん読みたい気持ちになっている。手紙を書くときというのは相手は常に不在で、不在の人に向かって語りかける、文章をしたためるというのは面白いことと思う。ある手紙が書かれてから次の手紙が書かれるまで、そして出されるまで、相手に読まれるまでには時間が空く。リアルタイムで逐一その日あったことをラインで送るような感じとはそこが違う。可愛い野良猫を見つけたとか変な看板を見つけた、とか言って写真と一緒にポンと送りつけるようなその感じも悪いことはないが、一週間なら一週間、それ以上ならそれ以上、前の手紙から新たに手紙を書くその時までに流れた時間、その時間を手紙を一つの区切りとして振り返って相手に伝える、そこに飾り気が混じったりもする。随時報告するでもなく、一日の終わりにその日を振り返るというのでもなく、手紙の往来のその不規則なリズムによって自身の日々や考え事とか感じたことが区切られていくその感じ、相手の文面や内容によってこちらの書くことも変わっていくその感じがなんだか無性に面白いと思う。これはツイッターとブログの違いとも似ているかもしれない。ツイッターはやっぱり幾分か反射的につぶやくようなところがあって、ブログである程度まとまった文章を書くとなると書いている途中に考えが膨らんだり逸れていったりする、そういう書きながら考えるということはある程度の文章の長さがないと起こらない。一息の長さが違うそのことで内容が変わったりもする。

この世からいちばん小さくなる形選んで眠る猫とわたくし

蒼井杏『瀬戸際レモン』「多肉少女と雨」 

 

 1K六畳のワンルームマンションに住んでいる。場所をとらないで生きている、と思う。電車でも縮こまって座る。喫茶店に入っても隅っこの席を選んで座る。肩らへんの骨が内側にめり込んでいるような姿勢、そういう癖が骨格についているように思う。もっと胸をひらいたほうがいい、と母に何度か言われたことがある。

 東京の空は狭い、と人は言う。たぶん大阪だって名古屋だって似たようなものだろう。街に住んでいても空が狭いと思ったことはない。狭い空に慣れきってしまっているのだろう。いま住んでいる家は通行量の多い道路の近くで、窓を開けているとトラックのエンジン音やら救急車のサイレンやらがひっきりなしに聞こえる。意識すると気が散るには散るが、やはりそれにも慣れてきている。

ろあろあと深夜のエンジンこの部屋に聞こえいてねむるまえのろあろあ

野口あや子『眠れる海』 

 小さい部屋に慣れきっていて、空間への感覚というのか、自分の持つ縮尺自体がみみっちくなっていることに気がつく。縮こまっていると、緊縮していると血が滞る感じがする。だから僕は冬が嫌いで夏が好きだ。夏になって日差しをむき出しの手に足に浴びながら汗をかいている、汗をかいているそれだけでなんとなく血が全身を駆け巡るような感じがする。サウナにいる気持ちよさと同じかもしれない。前の家は空調設備が壊れていた。今の家はきちんとエアコンが使える。寝苦しいときに二、三時間のタイマーをセットしてつけているが月々の電気代は1500円もいかないくらいで新しいエアコンは燃費がいいんだと感心している。エアコンが使えると、その気になれば涼しい部屋をいつでも実現できると思うと、よりいっそう夏が好きになる気がした。去年の夏はひどかった。四十度に近い日が続いて、そこから逃れる術もお金もなかった去年はいつでも熱中症すれすれでよろめきながら重いものを運んだり運ばなかったりした。命の危険を感じない夏はひたすらに気分が良い。今日は久しぶりに休みの日によく晴れて、早起きして洗濯を済ますとうどんを茹でてゆで卵と軽く茹でてあった小松菜とえのきを載せて腹ごしらえをすると自転車にまたがって行ったことのなかった近所の川へ向かった。目指してみれば自転車で10分くらいで川につき、工場とか倉庫とかが立ち並びコンビニはおろか自販機もあまりない川沿いの、間隔が広くて人のためではなく大型車のために作られているような道や橋を見ていると退屈な風景だけどなんとなくすっきりしてきた。堤防を下ると少しは人や自転車が通ることが念頭に置かれている感じになり、ベンチや切り株がぽつぽつと置かれている。しかしその間隔がまた広い。その広々とした場所に座って、鳥のはばたきや阪急電車の走る音を聞きながら本を読んだ。家で読んでもいいのだが僕は本が読みたくて、しかし外に出たくて、外に出ていると基本的に本が読めない、しかし一日家でまんじりともせず読書にふけっていると体がだるく頭が重く痛くなってくる。そこで僕は外で本を読めばいいというシンプルな解法にたどり着き、気候が良い時にはそうしている。以前は舟岡山にのぼってそれをしていた。今は近所に山がないので川に来た。広いところに来るとすっきりする。広いところに行くのと銭湯に行くのが今のマイブームだ。

 あと最近気になっているのが詩人の富永太郎で、飯島耕一が『萩原朔太郎』の中でいうには、「衰弱と解体の果てに、かえって生への転換を夢想した詩人である」と言っている。衰弱と解体といえば今の僕の生活にしっくりきて、昼夜の別もなく切れ切れの時間をなんとか生き延ばして貯金残高をせっせと増やしているだけの暮らしをしていて、自意識が高まったような霧散したようなどちらとも言えるような状況の中で、なんとか楽しく、というか生の実感を得て生きていきたいという自我が再び芽生え始めた僕にとって、とてもタイムリーな評言で富永太郎は一気に気になる存在に躍り出た。

 

ありがたい静かなこの夕べ
 何とて我がこころは波うつ
 
 いざ今宵一夜は
 われととり出でた
 この心の臓を
 窓ぎはの白き皿にのせ
 心静かに眺めあかさう
 月も間もなく出るだらう
—  富永太郎「無題」