アワー・ミュージック

正しいヒマの過ごし方。楽しいお金の使い方。

それはムード、甘いムード

六月になったからって、いきなり張り切りすぎている雨と風を横目に、頼りない部屋で山田詠美の「ラバーズ・オンリー」読んでいる。いろんなソウルミュージックを題材にした短編集で、研ぎ澄まされた身体感覚とクールな文体とがたまらない、とびきりムーディな小説だ。一篇を読み始める前と読んだ後に、タイトルになっている曲を聴く。"precious precious"がお気に入り。ホーン隊のタメがたまらない。これを流しながらゆらゆら踊りたい。青いカクテルだけを飲んで酔っ払っちまいたい。ピンボールに2000円使いたい。

意味を求めて無意味なものがない。それはムード、甘いムード。って妖怪みたいなバンドが歌ってたけど、僕もまったくそう思う。人を酔わせるようなムードってやっぱり素敵だ。雰囲気に任せて、夜を台無しにしてみたいとたまに思う。家で一人で缶のハイボールを飲んでいる。

ムードを作る上で、音楽は欠かせないと思う。グッドミュージックを聴くだけで、持て余していたはずの夜が良い夜になる。感動的なドラマや映画から、音楽を抜き取ってしまったら、きっと白けた印象になるだろう。あとはなんだろう、照明とか、香りとか?ムードは五感で作るもの、なんだなきっと。

触感的でムーディな映画と言えば、『ナインハーフ』が思い浮かぶ。

街の喧騒とそれを彩る音楽、歴史あるレストラン、水に浮かぶ部屋、ビリーホリディ。観覧車。目を閉じる女。氷やハチミツ。映画の前半のバブリーなデートの数々の、あまりの甘ったるさに、こ、これがムードか!アメリカの色男は女の子を口説くためにここまでするのか!と衝撃を受けた映画。おもしろいよ。家族とは、観ない方がいいけど。


山田詠美の小説を読むと、プライドが高くてわがままな女の子ってすごいなあと思う。ヒリヒリしてて。いつまでも、どこまでもわがままで、残酷なままでいてねって思う。そこから見える景色が気になる。

コンビーフをご馳走だと思う気持ち

深夜に起きていると、そして眠れそうにないと、個人差はあるでしょうが、気持ちが荒ぶってきますね。ネガティブな想念も、ひょっこりとかわいい顔を出したりしますね。しかしネガティブな気持ちや言説は一般的に、唾棄すべきものとされています。なんででしょうか。ネガティブなものには市場価値があまりない。それだけのことだと思います。なぜなら、ネガティブな気持ちや出来事は、お金や時間を使わなくても、無料でいくらでも向こうからやってくるからです。みんな結構、倹約家なんですね。ドラッグムービーよりも、ミュージカル映画の方が人気があります。
本当は、恥も外聞もかなぐり捨てて、もっと身も蓋もないくちゃくちゃの言葉を描き殴りたい気分になるときもあるのだけど、僕の中にあるなけなしの社会性が、腹の底から”No”と叫ぶのでいつもそれができずにいます。
なので今日はウォーミングアップとして、朝ごはんの前にさらっと読める程度の身も蓋もない話をしたいと思います。ネガティブにはネガティブなりの、ポジティブなライフハックがあるのです。みたいな話です。
 
「今日は楽しかった。また明日から頑張ろう。」とかなんとか言う人がいます。結構な数います。僕にはこの思考回路が全くわかりません。不可解と言ってもいいでしょう。一文目と二文目との間に、天の川ほどの大きさの論理の飛躍があるように感じるのです。
僕の場合、今日が楽しかったのならば明日はつらいです。なぜなら、楽しい出来事によって、それまでは辛うじて生活とマッチしていたチューニングが崩れてしまうからです。楽しいことだけして生きていきたいと思いながら毎日を過ごせば、つらいことをつらく感じます。人生はつらい、と思っていれば、つらいことは想定の範囲内、黒い雲から雨が降る、またはコロッケはおいしいということ、ジョー・コッカーは痙攣しながら歌を歌うという事実、と同じくらい当たり前のことだとして受け止めることができます。なので僕は基本的には”生きることはつらいモード”に合わせてチューニングをしています。つらいことがあってもへっちゃら、綺麗な夕焼けなんかが見れた日にはスーパーラッキーです。昨日は牛肉屋さんを見かけました。牛肉だけを売って、お金をもらって、息をして生きている人間がこの世にいる。そのことがなんとなくうれしく思いました。牛肉屋さんの憂鬱。牛肉屋さんが見つけた星座。牛肉屋さんの娘。なんだかいい感じがします。これが僕なりの処世術、サバイブ術なのですが、残念ながら穴ぼこだらけのいびつな代物で、その108ある弱点の一つが、楽しいことです。とんでもなく楽しい、非の打ち所のない完璧な夜を一度過ごしてしまうと、前提となっている”人生はつらい”というテーゼが覆ってしまいます。あれ、今日はつらくなかったぞ、人生、いいこともあるのでは。と思ってしまったが最後、細い針の先で日向ぼっこをしていた僕の心の平穏は、あっけなく地面に落っこちてしまいます。そうなるともう、生きているだけで泣けてくる、生まれたての赤ん坊さながらのナイーブな感受性がむき出しになって、ひとの世にはびこる悪意、はかなさ、社会の矛盾、人生における現在地及びそれに伴う焦燥感、等々を最高にキレキレの高感度でビシバシ受信してしまって、メンタルが乱気流に突入してしまいます。まことに厄介な星の下に生まれてしまったことよなあ。なんて雅な口調でつぶやいてみても仕方がありません。詠嘆は役に立ちません。
なぜ僕がこのようなひねくれた生活態度を身につけるに至ったかというと、それは時代錯誤的な、僕の求道心、敬虔さに由来します。格好良く言うと知的好奇心です。カフカが、もしかしたら真理というものは悪臭を放ち誰もが目を背けたくなるような代物かもしれない、みたいなことをどこかで書いていたのですが、それでもいいから真理を知りたい、そんな感じです。人生を人生として生きたいというか、もしも生きることが灰色ならば、灰色の景色を眺めていたいし、灰色の人生を送りたい。そんな感じです。コンビーフをご馳走だと思う気持ち、それを忘れなければ、僕は生きていけるのではないかと思うのです。以上、身も蓋もない話でした。社会にあてもなく媚の叩き売りをしていると、こういうネガティブ、反社会的な文章を書きたい気持ちになるのです。内容とは裏腹に、書くと頭がすっきりして、元気がモリモリ湧いてきます。それでは、あらあらかしこ。

あの子のことが好きなのは

昨日、今年初めての素麺を彼女と二人で食べた。揖保乃糸と迷ったんだけど、って言いながら彼女が安い素麺を買ってきた。僕はどっちでもいいよって思ったから、どっちでもいいよって言った。俺はあんまり食べ物の味がわからないから、安くても気にならないし、高かったら高かったで特別感があって嬉しいから、どっちでもよかった。人生は選択の連続だと言うけれど、どっちでもいいことって以外と多いよなって最近なんとなく思う。なんとなく思うだけだから、それ以上の広がりはないんだけど、少し心が軽くなる。

最近、大変なことも多いけど、社会って大変だね。大人って大変だね。とか言いながらでも、この子と一緒にご飯が食べられたら、他のことはどっちでもいいじゃんって思う。パンにジャムを塗ったり(僕はフルーツが食べられないので砂糖をぶっかけたりする)、魚を焼いたり、たまには餃子を一緒に作ったりとかできたら、それでいい。寝る前には100円で買った中古の文庫本や漫画を読んだり、旧作のレンタルビデオを観たりしてさ。3000円くらいの家庭用プラネタリウムとか買って、思い出した時に眺めたりさ。見通しが甘いって、誰かに怒られそうだな。

自分にはあんまり生命力がないということを再認識している。バイタリティ命みたいな業界ばかり見ていたからかもしれないけど、ホタル程度の生命力しか持っていないと感じる。涼しい季節になって、過ごしやすい気候になると外に現れて、暗くなると、少し光って、すぐにくたばる。久しぶりの友人に会ったりすると、元気?って聞かれる。元気じゃないよって言うと心配されるから、元気だよって答えるけど、別に元気ではない。今まで生きてきて元気だった時間は20%くらいで、80%の時間は元気がないまま過ごしてきた。だから元気じゃなくてもそれが普通だから心配しないでって言いたいけど、回りくどいから、元気だよって言う。元気じゃないといけないのかなって少し考える。ポジティブな人と、ネガティブな人。どちらがより多くの人に好かれるかといったら、それはポジティブな人なのは間違いないけど、僕がどちらが好きかと言われたら、ちょっと困る。元気はないけど、楽しいということが僕には結構ある。そういうささやかなぐっとくる瞬間が、突き詰めれば詩になるのでは、なんてことにぼんやり思い当たる。あの子のことが好きなのは、赤いタンバリンを上手に打つからじゃなくて、生命力が僕とちょうど同じくらいだからじゃないかな、ということをちょっと考えてる。

ビギナーズラックとアルデンテな人生

最近ふと思ったことがある。ぼくは、人生やるの初めてなんだけど、ビギナーズラックとかないのかな。あったらいいのになって。ビギナーズラックって、みんな言うけど、俺はあんまり信じてない。初めて、と言うか現時点では最初で最後の、競馬に行った時には300円くらい当たったりはずれたりして、ジリジリとお金がなくなって、帰る頃には1500円負けていた。だからビギナーズラックというものはわからなかったけど、ジリ貧という言葉の意味が身に染みてわかった。今も言うたらジリ貧状態だ。初めての就職活動をしていて、今回もビギナーズラックはやはりなく惨敗続きで、特に進展もないままジリリと時は過ぎていく。競馬で負けた時は、別にそんなにショックじゃなくて、でもお金はないから後の一週間をうどんを茹でるばかりの繰り返しで消し飛ばしたけど、今回もジリジリと消耗して負けていっても、大したことないなって思うのかな。思いそうだな。今度は40年間パスタでも茹で続けるのかな。安いからね。種類豊富だし。そしたらそのうちパスタ屋さんになれそうだな。それか安く作れるパスタのレシピ本、図鑑のような分量のやつが書けそうだ。悪くない人生じゃないか。アルデンテで、歯ごたえバッチリじゃない?一人暮らしの貧乏学生のバイブルとして、読み継がれるかもしれない。図鑑みたいな、パスタ本。命日には毎年、お墓に花とパスタ、たまにブラックオリーブとか、が供えられてさ、墓碑銘にはこう刻んである。

「パスタを茹でろ、愛する人めがけて。」


自分の人生最期の言葉。みんな一度は妄想したことあると思うけど、僕はこれを考えるのが一等好きで、いろいろな偉人の格好良いやつとか参考にしながらこねくり回して、結局今のところは「地獄で会おうぜ、Baby!!」で落ち着いてます。

今日は金曜日。来週も、がんばります。ビギナーズラックなど、なくとも。

給料日のバイトの帰り道にする妄想プランA

給料日のバイトの帰り道、いつもより財布は重くなって、その分気持ちが軽くなりますね。このお金、何に使おうかなーなんて考えてると、ウキウキしますね。そのまま予想外の方向へ妄想が転がっていくことも、少なくないですよね。というわけで、僕がバイトの給料日の帰り道にする妄想のうちの一つを覚え書きしておきます。別にこんなこと覚えてなくても良いんだけど。そういうどうでもいいことって、何かの形で残しておかないと、どうでもいいまま終わっちゃって、もったいないから。余計なことはしすぎるほどいいよってスピッツも歌ってたし。

 

バイトの給料日に、もらったお金をそのまま丸ごと使ってタクシーに乗りたいと思う。運転手さんに行き先を聞かれて、「運命の人」とか答えたい。そしたら運転手さんは黙って走り出す。夜の四条通りをゆっくり走る。酔っ払った男女ばかりで、誰も他の人のことなんか気にしてない。夜の街は、もうほとんどの店はシャッターを下ろしていて、そういう意味では昼間よりつまらないはずなのに、いつもより楽しそうに見える。人もお店も昼間より少ないのに、昼間にはない「何か素敵なこと」が夜になら、終電が行ってしまったあとの時間には起こりそうな気がするのはなんでだろう。そんなことを考え中の僕を乗せてタクシーは黙って2時間くらいすいすい走る。週一回のバイトの給料で、タクシーを2時間走らせることができるのかどうか、知らないけど。人も家もまばらな道に出る。月のない晩で、街灯やヘッドライトが場違いなくらい眩しく見える。子供の頃の、親が運転する車の後部座席で、運転席と助手席に座る両親の話がよくわからなくて窓の外をぼんやり眺めていた時のことを思い出す。ぼーっとしてたらいつの間にかタクシーは、辺鄙なところにある高速道路の入り口の手前で止まって、「着きましたよ」って下される。えっ、こんなところで降ろされても。高速乗らないの。と思いながら慌ててお金を払うと、タクシーはそのままどこかに行ってしまう。外は真っ暗で、ここがどこかもわからないし、財布は空になっちゃったし、途方に暮れる。すると遠くに明かりが見える。高速道路の料金所だ。ETC専用レーンが増える中、一つだけ有人の料金所がある。明かりもついている。夏の虫さながら、なんとなくふらふらと近づいていく。そして一つだけの有人料金所の中には「運命の人」がいて、僕に笑いかけてくる。その人は料金所からピカピカの500円玉を何枚かかっぱらうと、スタスタ高速道路の方へ歩き出してしまう。「あの人は運命の人だから、追いかけなきゃ」と思って追いかけて、2等星くらいまでは見える星空の下、車のいない高速道路を「運命の人」と並んで歩く。タクシーの運転手さんに、運命の人までって言ったら、ここに着いたんだと説明する。ピカピカの500円玉を集めながら待ってたよとその人は笑う。恐る恐る、料金所のお金、勝手にとっちゃっていいのと聞いてみる。「どうせ今日が給料日だから。とった分は来週ちゃんと野口英世にして返しておくよ。そんなことよりほら、この500円玉すごくピカピカしてるでしょ。」「ほんとだ。流れ星みたい。」「流れ星にお願い事したことある?」「あっ、流れ星!って思ってる間に消えちゃう。それを神様が願い事だと勘違いして、もう一個流れ星を流してくれるんだけど、それもあっまた流れ星!って思うだけでどっか行っちゃう。」そうやっていろんな話をしながらインターまで歩いて行って、彼女が集めたピカピカの500円玉で、あんまり美味しくないカレーやラーメンを半分こにして食べる。あんまり美味しくないねって言いながら。おしまい。もうすぐバイトの給料日です。

部屋にある壊れたトースターを考える

僕の部屋には壊れたトースターがある。ある時はタバコを吸う時の椅子になって、ある時はノートパソコンを置く台になって、今では巻きタバコ用の道具とか、友達からもらったお土産とかを入れておくための小物入れになっている。壊れたトースターの中に、昔友達からもらったオーストラリア土産の鞭が入っているから、初めて部屋に遊びに来た友達とかはびっくりする。トースターの捨て方がわからないから部屋に置いてただけなんだけど、そんなこんなでいろいろな用途で使ってるから、壊れてるけど邪魔にはなってない。でも壊れているからパンは焼けない。

ものが壊れた状態のことを、うんともすんとも言わなくなったと表現することがある。僕がここ数年で壊したものといえば、トースターとヒーターくらいなんだけど、そのどちらも、壊れる前から「うん」なんて言わなかったし「すん」と言ったことも一度もなかった。「うん」とか「すん」とか言いながら、元気に働く電化製品を僕は今まで見たことがないけど、なんで壊れることをうんともすんとも言わなくなるって表現するんだろう。自分が知らないだけで、他の家ではいろんな家電が「うん」とか「すん」とかの大合唱をして、生活にアクセントを加えてるんだろうか。お前には、見せてないだけで、俺の知らない顔があるのか、と思いながら、中身のさみしい冷蔵庫をジロリとみると、「ブーーーーン…」って言ってた。死にかけのライトセーバーみたいだと思った。中にはトマトとうどんと高菜と調味料が入ってる。というかそれしか入ってない。今日の晩御飯何にしよう。

トースターを壊した夜は悲しかった。まだお酒の飲み方とか考えたこともなかった頃に、ひどく酔ってふらふらの状態で家に帰ってきて、トースターをお姫様か友達か何かだと思ったのかわからないけど、トースターを抱えて踊ってたら床に落として壊しちゃった。フランスのことわざに「熊の敷石」というのがあるらしくて、これはある小話が元になっている。あるところに、一匹の熊と、一人の人間がいました。一人と一匹は仲良しで、晴れた日には野原に座って、並んで熊はハチミツを舐めて、人間はパンなんかを食べたりしていたそうな。ある暑い夏の日に、人間の顔の周りを一匹のハエがしつこく飛んでいた。人間は振り払おうとするんだけど、なかなかハエは離れない。それを見た熊は、助けてあげようと思って、家の前の敷石を持ち上げて、ハエに向かって力いっぱい投げつけた。はたしてハエは死んだんだけど、頭に敷石が直撃した人間も頭がパックリ割れて死んでしまった。という話。だから、「熊の敷石」は余計なお節介とか、無知な友人ほど危険なものはない、とかって意味で使われるらしい。酔っ払ってトースターを壊した時、このお話の熊のような気持ちになった。

気になる名前

最近気になる名前がいくつかある。というかやたらと気にいった名詞がいくつかある。だけど日常生活の中で使う機会はほぼゼロのものばかりなので、やり場のない気持ちをここに吐き出すために列挙してみる。


ヴィヴィアンウエストウッドのロッキンホース・バレリーナ

ある種の女の子にとっての憧れのブランドの靴で、ロリータ界隈では定番らしい。バンドマンで言うところのDr.マーチンみたいな感じなのかな。おしゃれアイテムというより無敵の装備品か、必殺技みたいな名前だと思う。TMGEの曲名にありそうな感じもする。

大槻ケンヂの小説に同じ名前のものがあったから気になって買ったんだけど、Amazonのレビューに「ダイブして飛んでいく女の子の靴の裏を描写できるのは、オーケンだけ」って書いてあって、すごく良い感想だと思った。


ロングアイランドアイスティー

スクリュードライバーとかカルアミルクと並んで、飲みやすいけどアルコール度数が高い、所謂レディキラーのカクテルの一つらしいんだけど、名前が格好良い。ウォッカとかテキーラとかコーラとか色々混ぜて、紅茶に似た味に仕上げるらしいんだけど、紅茶は一切入ってないっていう偽物感も良い。伸び伸びとした名前とは裏腹に、いびつなものでできていて、よこしまな目的で使われたりする。そういうところがなんかシリアルキラーっぽくてゾクゾクする。


中華イヤホン

中国製のすごく値段が安いのにやたら音が良いイヤホン群を指す言葉らしい。けどこの言葉の組み合わせがなんとなくレトロフューチャーな雰囲気を醸し出しててすごく良い。『ブレードランナー』に出てきそうだし、スチームパンクっぽさもある。サイバーパンクなんかに出てきてもおかしくない。ネオトーキョーに通じる格好良さ。名前だけで欲しくなっちゃう。Perfumeが付けてそう。


セイタカアワダチソウ

北アメリカ原産のキク科アキノキリンソウ属の多年草で、ざらついた手触りで、秋に黄色い小さい花をたくさんつけて、その様子が黄色く泡立っているように見えるからこの名前、なのかな。実際に背が高くて、1-2mにまでなるらしい。あと強いアレロパシーを持っていて、アレロパシーっていうのは周りに自分たち以外の植物が生えないようにするための物質を出したりする効果のことらしくて、セイタカアワダチソウの周りにはセイタカアワダチソウばかりがびっしりと群生するようになるらしい。なんだか人間みたいですね。

窪美澄の『ふがいない僕は空を見た』の中に名前が出てきて、それを読んで以来、その見た目とか習性とか経歴をひっくるめてなんとなく気になる植物。


何の脈絡もオチもないけど、以上。なんとなく、気に入ってしまう単語ってありませんか。ほら、リッケンバッカーとか。